TULIP40周年記念CD
6月6日発売予定のTULIP40周年を記念したCDが3枚組みで登場!
このCDジャケット写真・・・美味しそう(^^♪

2012年6月、デビュー“40周年”を迎えるチューリップ。
その歴史の中でリリースしてきた“シングル40曲”が、
CD3枚組の永久保存の記念盤としてリリース決定!
40年間の中でのシングル40曲が掲載されているのか〜!
全部持っているような気もしますが、
ここはお祝いとして買わなくては!(^^♪
先日4年に1度の中学校の同窓会の案内がきました。
9クラスもあったので、いつも会場選びが大変なのですが、今回も4年前と同じ会場にしたようです。
会場はANAクラウンプラザホテル新潟、8月15日かぁ〜休み取れるかな〜参加の場合は今月中に振込み・・・
ん〜!今月は出費が多そう・・・(;^_^A
お小遣いの交渉でもしないと、今月はピンチですぞ〜
チケットの先行予約¥7500円+チケット発送料¥600円=¥8100円
40周年記念3枚組みCD¥4700円
4年に1度の中学校の同窓会費(1・2次会込み)¥11000円
1年に1度の高校の同級会ゴルフ(参加費・2次会込み)¥19400円
今分かるだけでも¥43200円!!
無理だな!(ーー;)
ボーナス小遣い前借りしなくては・・・・・
毎日天候不順で、暖かくなったりまた寒くなったりしていますが、
春ですね〜我が家の庭では、もうチューリップは終わってしまいました。
花が咲いていないものもまだ多いですが、椿や五月は花を落としては咲きを繰り返しています。今花盛りなのは、・・・(拡大して見てね)(^o^)/




ん〜白が多いなぁ〜!(ーー;)
白い花の方が先に咲くのかなぁ?
上の牡丹の花びら1枚取れたので、写真にアップ
拡げてみようと思ったら上の方が切れてしまいましたが、下に置いたDVDと見比べると大きさが分かると思います。大きな花で見ごたえがあります。
蝶やてんとう虫が、近づいたら逃げてしまいましたが、虫たちも活動が見られるようになりました。最近暖かくなったり寒くなったりで気温の変化が激しいですが、暖かい季節は良いですね〜(=^0^=)
次にお見せできるのはピンクの牡丹や芍薬かな?(^^♪
本日5月11日の「今日は何の日」は、
1824年5月11日、フランスの画家で彫刻家のジャン=レオン・ジェロームが生まれた日です。

私がジェロームの描く絵が好きなのは、特に女性を描いた絵です。
ジェロームが描く女性像は、モデルのように絵に(画家に)向かってポーズを取っているものでは無く、自然な姿と言うか動きの途中を捉えた一瞬の写真のように思えること、そして描かれている女性全てが美しく描かれていることです。(=^0^=)
美女と言えば、ジェロームも描いているクレオパトラでしょうか?!
「絶世の美女」、「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」など美女の代名詞のように言われてきたクレオパトラ7世は、エジプト新王国プトレマイオス朝最後の女王でした。
父王の死によって、エジプトの王位を継承する為に、当時17歳のクレオパトラは12歳の弟プトレマイオス13世と結婚します。兄弟姉妹で結婚なんて今では許されないことですが、国を治めるために好きという感情もない弟と結婚なんて・・・政略結婚の方がまだマシと考えるのは私だけでしょうか(;^_^A
上のジェロームの作品に描かれているのは、カエサルとクレオパトラが出会うシーンです。
カサエルって誰?と思われる方も多いかも知れませんが、ローマの将軍ユリウス・カエサルの英語読みは、「ジュリアス・シーザー」と言えばよく分かるのでしょうか。(^^ゞ
当時夫となっていた弟のプトレマイオス13世によって、妻のクレオパトラはエジプトの王座から追い落とされていました。クレオパトラは、ローマの将軍であるカエサルに、後ろ盾になってもらいたいと思っていましたが、弟の監視の目があり、カエサルに会いに行く事が出来ませんでした。そこで思いついたのは、自分を献上品の中に包んでもらいカサエルの所へ運ばせることです。
上のジェロームの描いた絵では、絨毯から姿を現すクレオパトラが描かれていますが、書物では絨毯と書かれたものは何もありません。絨毯と言うより寝具の方が真実味がありますが、それはさておいて・・(ー_ー)!!
思い切り刺激的な服装を身にまとって、カサエルの目の前に現れたクレオパトラ、カエサルはこの劇的な出会いに、完全に心を奪われてしまいました。ジェロームは絵に、この一瞬をカサエルがクレオパトラの足元に膝間づく形で表現しています。カエサルは52歳、クレオパトラは21歳です。(残念ながら、私の目の前ではありません。(>_<))
クレオパトラはカエサルの助けを借り、弟を殺させてエジプトの王位に返り咲きます。再びエジプト女王になったクレオパトラは、別の弟(当時11歳)のプトレマイオス14世と結婚し共同統治者にしたて、自分はローマに行ってカサエルの愛人となり、カサエルの子どもを生みました。
・・・・・・あれ〜??
話しが変わってしまった!今日はクレオパトラの話しでは無かったですね。(;^_^A
ジャン=レオン・ジェロームの話はどこいった〜??^_^;
1904年、79歳で亡くなったジャン=レオン・ジェロームの描いた作品は、興味深い作品が多数あります。
余計な事を書いていて時間が無くなってしまいました。(>_<)
また書く機会があれば、再挑戦してみたいと思います。
PS:「カサエルの前のクレオパトラ」の絵は原画が見つかっておらず、今は模写したものしか見ることが出来ません。誰か探して!(^o^)/
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪
このCDジャケット写真・・・美味しそう(^^♪

2012年6月、デビュー“40周年”を迎えるチューリップ。
その歴史の中でリリースしてきた“シングル40曲”が、
CD3枚組の永久保存の記念盤としてリリース決定!
40年間の中でのシングル40曲が掲載されているのか〜!
全部持っているような気もしますが、
ここはお祝いとして買わなくては!(^^♪
先日4年に1度の中学校の同窓会の案内がきました。
9クラスもあったので、いつも会場選びが大変なのですが、今回も4年前と同じ会場にしたようです。
会場はANAクラウンプラザホテル新潟、8月15日かぁ〜休み取れるかな〜参加の場合は今月中に振込み・・・
ん〜!今月は出費が多そう・・・(;^_^A
お小遣いの交渉でもしないと、今月はピンチですぞ〜
チケットの先行予約¥7500円+チケット発送料¥600円=¥8100円
40周年記念3枚組みCD¥4700円
4年に1度の中学校の同窓会費(1・2次会込み)¥11000円
1年に1度の高校の同級会ゴルフ(参加費・2次会込み)¥19400円
今分かるだけでも¥43200円!!
無理だな!(ーー;)
ボーナス小遣い前借りしなくては・・・・・
毎日天候不順で、暖かくなったりまた寒くなったりしていますが、
春ですね〜我が家の庭では、もうチューリップは終わってしまいました。
花が咲いていないものもまだ多いですが、椿や五月は花を落としては咲きを繰り返しています。今花盛りなのは、・・・(拡大して見てね)(^o^)/




ん〜白が多いなぁ〜!(ーー;)
白い花の方が先に咲くのかなぁ?
上の牡丹の花びら1枚取れたので、写真にアップ

拡げてみようと思ったら上の方が切れてしまいましたが、下に置いたDVDと見比べると大きさが分かると思います。大きな花で見ごたえがあります。
蝶やてんとう虫が、近づいたら逃げてしまいましたが、虫たちも活動が見られるようになりました。最近暖かくなったり寒くなったりで気温の変化が激しいですが、暖かい季節は良いですね〜(=^0^=)
次にお見せできるのはピンクの牡丹や芍薬かな?(^^♪
本日5月11日の「今日は何の日」は、
1824年5月11日、フランスの画家で彫刻家のジャン=レオン・ジェロームが生まれた日です。

私がジェロームの描く絵が好きなのは、特に女性を描いた絵です。
ジェロームが描く女性像は、モデルのように絵に(画家に)向かってポーズを取っているものでは無く、自然な姿と言うか動きの途中を捉えた一瞬の写真のように思えること、そして描かれている女性全てが美しく描かれていることです。(=^0^=)
美女と言えば、ジェロームも描いているクレオパトラでしょうか?!「絶世の美女」、「もしクレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史が変わっていた」など美女の代名詞のように言われてきたクレオパトラ7世は、エジプト新王国プトレマイオス朝最後の女王でした。
父王の死によって、エジプトの王位を継承する為に、当時17歳のクレオパトラは12歳の弟プトレマイオス13世と結婚します。兄弟姉妹で結婚なんて今では許されないことですが、国を治めるために好きという感情もない弟と結婚なんて・・・政略結婚の方がまだマシと考えるのは私だけでしょうか(;^_^A
上のジェロームの作品に描かれているのは、カエサルとクレオパトラが出会うシーンです。カサエルって誰?と思われる方も多いかも知れませんが、ローマの将軍ユリウス・カエサルの英語読みは、「ジュリアス・シーザー」と言えばよく分かるのでしょうか。(^^ゞ
当時夫となっていた弟のプトレマイオス13世によって、妻のクレオパトラはエジプトの王座から追い落とされていました。クレオパトラは、ローマの将軍であるカエサルに、後ろ盾になってもらいたいと思っていましたが、弟の監視の目があり、カエサルに会いに行く事が出来ませんでした。そこで思いついたのは、自分を献上品の中に包んでもらいカサエルの所へ運ばせることです。
上のジェロームの描いた絵では、絨毯から姿を現すクレオパトラが描かれていますが、書物では絨毯と書かれたものは何もありません。絨毯と言うより寝具の方が真実味がありますが、それはさておいて・・(ー_ー)!!
思い切り刺激的な服装を身にまとって、カサエルの目の前に現れたクレオパトラ、カエサルはこの劇的な出会いに、完全に心を奪われてしまいました。ジェロームは絵に、この一瞬をカサエルがクレオパトラの足元に膝間づく形で表現しています。カエサルは52歳、クレオパトラは21歳です。(残念ながら、私の目の前ではありません。(>_<))
クレオパトラはカエサルの助けを借り、弟を殺させてエジプトの王位に返り咲きます。再びエジプト女王になったクレオパトラは、別の弟(当時11歳)のプトレマイオス14世と結婚し共同統治者にしたて、自分はローマに行ってカサエルの愛人となり、カサエルの子どもを生みました。
・・・・・・あれ〜??話しが変わってしまった!今日はクレオパトラの話しでは無かったですね。(;^_^A
ジャン=レオン・ジェロームの話はどこいった〜??^_^;
1904年、79歳で亡くなったジャン=レオン・ジェロームの描いた作品は、興味深い作品が多数あります。
余計な事を書いていて時間が無くなってしまいました。(>_<)
また書く機会があれば、再挑戦してみたいと思います。
PS:「カサエルの前のクレオパトラ」の絵は原画が見つかっておらず、今は模写したものしか見ることが出来ません。誰か探して!(^o^)/
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(v^-^v)♪
先行予約の案内ハガキ

「チューリップ先行予約のお知らせ」
のハガキが届きました!(=^0^=)

このハガキは北陸4県用ですね。他の地方は下の会場案内が違うだけのような気もしますが、再結成したコンサートが、今年いよいよあるんだなぁ〜!と言う実感が湧いてきました。(^_^)vデビュー40週年!
感慨深いものがありますね〜!
ハガキの注意事項に、
一般発売日前の先行予約ですが、枚数の確保となり必ずしも座席が優先される訳ではございません。お席の場所は会場全体での抽選となりますので、後ろや端のお席となる場合もございます。
とあるのは、会場予約の方が良い?と言う事なのかな〜??
どうしよう・・・・。
本日5月7日の「今日は何の日」は、
1824年5月7日、ウィーンのケルントナートーア劇場でベートーヴェン自身の指揮によるベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付」が初演された日です。

Youtubeにアップされたものでは、
この音源が一番素敵でした。ラジオ生放送の録音と言う事もあり、最初の10分近くは解説、そして演奏途中で入る観客の咳払いなど、目を瞑って聴いているとまるで演奏会場にいるような錯覚さえ覚えます。
合唱も演奏が始まってから40分くらいからでしょうか、正味1時間10分程度のこの曲ですが、その後の観客の拍手喝采が10分以上入っていますのでそこまで聴いている必要は無いと思いますが、久しぶりに良い曲を聴いた思いです。(^^♪
聴く時間のある人は、10分くらい飛ばして聴き始めると良いかもしれません。^_^;私はいつも両耳栓をして一人聴いています。
何でしたっけ?
あ!この曲の初演された日でしたね。(=^0^=)
ベートーヴェンは交響曲が9曲ありますが、その中でこの第九として知られているこの交響曲第9番ニ短調「合唱付」が、私には一番の傑作作品と思います。ベートーヴェンは、ドイツの詩人シラーが1785年に発表した、友情の素晴らしさと自らの素直な喜ばしい心情を表した内容の「歓喜の歌」と言う詩を読んで、これにあう曲を作りたいと長年に渡り思い続けていました。1822年、ロンドンのフィルハーモニック・ソサエティから作曲依頼を受け、長年溜め込んでいたこの曲を完成させます。ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で歌われている歌がそうですね。
初演の指揮はベートーヴェン自身が行ったと書きましたが、ベートーヴェンの聴力はすでに失われていたので、もうひとりの指揮者を舞台上に配して演奏が進められていました。指揮を終えた後、聴衆は熱狂的なほどに拍手喝采しますが、ベートーヴェンは客席に背を向けていたので、それが伝わっていません。指揮台に立ち尽くしたままのベートーヴェンを見かねたアルト歌手が、正面に向けさせて演奏会が成功したことを教えたそうです。

私の下手な説明よりも
是非!これ!映画の一場面ですが、
この1曲の集約部分が
演奏されています。
映画とは言え、感動ものでした。
今日のブログは皆さんにこの曲を
クリックして聴いて頂ければもう
それだけで、嬉しいです。
ベルリンの壁が崩壊した年のクリスマスに、レナード・バーンスタイン指揮のコンサートが行われました。バイエルン放送交響楽団を母体に、東西ドイツと有志を募って混成オーケストラを臨時編成し、ベルリンでも伝統のあるコンサートホールのシャウシュピールハウスで交響曲第9番を演奏、東西ドイツの融和を祝いましたが、歌詞の中の歓喜(Freude)を自由(Freiheit)に置き換えて歌ったことが話題になりましたね。(=^0^=)
話は変わりますが、・・・
私の趣味?の1つに、1円オークション入札があるのは前にも書いたことがあるので、昔から見てくれている方は御存知かも知れません。取れるか取れないかと思うくらいの金額で入札して、あとで結果を見て、最低どれ位の金額で入札すればギリギリ取れるのかを見ています。本当に必要な時の参考にしているのですが、・・・(1円でも良いのですが、最初から取れない金額だとワクワク感が無いのである程度の金額を入れているのですが、・・・)(^^ゞ
今回テレビにもパソコンモニターにも使えるという15.4Vの地上デジタル液晶テレビを入札してみました。

入札件数が今回少なかった為か?・・1ヶ¥4800円で2ヶも(;^_^A
落札してしまいました。^_^;
1ヶは私の寝床用TVとして置きましたが、もう1ヶはパソコンのディスクトップを入れ替えましょうか?まだ使えているので検討中・・・^_^;
テレビ用として私の部屋へ⇒
もう1ヶはまだ箱のままです。(^▽^)
高額で落札すると、それでも安いのでしょうが、損した気分になりますよね。(^^ゞ
1位落札者の金額は私の倍以上の金額です。
最近のオークションは、似たような品が期間をずれて何回も出品されることが多いですから、1回1円でも入札して落札金額を確かめます。本当に欲しければ確かめた金額の最低ラインを重視したほうが、直お得感が増しますよね〜(=^0^=)
次は・・・自転車を長期戦で狙おうと思います。
私のは壊れてしまったので(;^_^A
あまり乗らないのでママチャリで良いのですが、1万円以下で頑張ろうと思います。(^_^)v
やっぱり先行予約でチケット買っておこう!(^o^)/
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!励みになります。
(v^-^v)♪
チューリップ散歩
今日は新潟県花のチューリップです。(^o^)/
新潟市食育・花育センターの四季の庭へ行ってきました。
先日の桜のそばにあります。

ようやくチューリップの季節!・・・と言っても、
いつも桜に押されて終わり頃の見物になってしまいます。(^^ゞ
チューリップのブログらしく、色々なチューリップを紹介してみましょう!
しばらくお付き合い下さいませ〜!(=^0^=)



人が通れるスペースがあるところには、白いチューリップのダーウィスノー、赤色のマルタ、桃色のロザリー、橙色のバレリーナ、黄色のヤンファンネスが5列になって咲いています。



今日は風が強くて花も終わりに向かっていたためか、写真も花もきれいとは言いがたいものになってしまい、もう少し早く来れば良かったなぁ〜と反省です。

チューリップの原産国は、トルコ
生産地ではオランダが非常に有名で、いろんな国へ輸出されています。
トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃で、日本には江戸時代後期に伝来したとされますが、普及するに至りませんでした。大正時代に入って、ようやく新潟市で本格的な球根栽培が始まりました。このことから、新潟が「日本チューリップ発祥の地」とされていて、道の駅花夢里にいつには記念碑が建てられています。日本での球根生産は、新潟県や富山県で国内シェアの98%を占めるほど大規模な栽培が行われています。
日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入品ですけどね。(=^0^=)
昨日はメーデーでしたね。
MayDay(5月の日)、当たり前ですが、(^_^;)
ヨーロッパでは伝統的に、春の訪れを祝う五月の祭りメイフェア( May fair)、メーデー( May day)が催されていました。
日本では1920年の今日、5月2日に上野公園で第1回のメーデーが5千人参加で開催されました。
メーデーに関しては3年前の5月1日のブログに書いていたので・・・
本日5月2日の「今日は何の日」は、
1995年5月2日、 野茂英雄がメジャーリーグ初登板した日です。

背中を打者に向けて球を投げるスタイル、独特のトルネード投法、フォークボールを武器にメジャーリーガーから三振の山を築きあげたドクターKと呼ばれた男!
今でこそ日本人メジャーリーガーは多いですが、その活躍の場が開かれたのは、野茂英雄の功績がかなり大きいといえますね!
ドラフトで史上最多の8球団から1位で指名を受け、近鉄バファローズの一員としてプロ野球選手となった野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだのは1995年の事です。
近鉄バファローズに入団した1年目に18勝を挙げ、最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、投手主要部門のタイトルを総なめにしたほか、最優秀選手、沢村賞、ベストナイン、新人王と8冠も獲得した野茂英雄がなぜ大リーガーへの道へ進んだのでしょう。
入団した1990年に先ほども書いたように18勝、翌1991年には17勝、1992年18勝、1993年17勝、そして近鉄最後の年になった1994年、野茂は肩を故障してシーズン後半を棒に振ってしまい8勝に留まってしまいます。
野茂はこのシーズン終了の契約更改で、複数年契約と代理人交渉制度を希望しますが、この時フロントは「君はもう近鉄の顔ではない」と野茂に言い放ったとされています。フロントに対する不満と1993年から監督となった鈴木啓示が、野茂のフォームを否定しフォームを改造しなければ通用しなくなるなど、フォームを矯正しようとした監督との確執も、近鉄を退団しようと決意する理由になりました。
近鉄フロント陣は、自由契約ではなく任意引退扱いにし、日本プロ野球界では他の球団との契約が出来ないようにしてしまいました。その為、強く希望していたわけでも無かった大リーグへ進むことになるのです。
しかし、大リーグでの活躍も見事なものでした。(^_^)v

ロサンゼルス・ドジャースに入団して初先発した日が今からちょうど17年前の今日でした。
初先発から1ヶ月後の6月2日に初勝利をあげてからの野茂は、引退する2008年までの間、記録に残る活躍ぶりでした。野茂の活躍があってこそ、後の日本人大リーガーがあると思います。
今、この大投手とも言える野茂のあとを継ぐ投手として、若きダルビッシュ有が挑戦しています。
野茂が記録したメジャー史上2人目と言われた、新人時代から3年連続での200奪三振の記録をダルビッシュ有が破ることを期待して、野茂の大リーグ初登板の日を終わりま〜す。(=^0^=)
新潟駅の南口に、チューリップの花で作られた絵が飾られています。
今日の強風で大分ひさんな状態になりつつありますが、それでも見学していく人、足を止める人は多く新潟らしい一面を覗かせています。(^^♪
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪
新潟市食育・花育センターの四季の庭へ行ってきました。
先日の桜のそばにあります。

ようやくチューリップの季節!・・・と言っても、
いつも桜に押されて終わり頃の見物になってしまいます。(^^ゞ
チューリップのブログらしく、色々なチューリップを紹介してみましょう!
しばらくお付き合い下さいませ〜!(=^0^=)



人が通れるスペースがあるところには、白いチューリップのダーウィスノー、赤色のマルタ、桃色のロザリー、橙色のバレリーナ、黄色のヤンファンネスが5列になって咲いています。



今日は風が強くて花も終わりに向かっていたためか、写真も花もきれいとは言いがたいものになってしまい、もう少し早く来れば良かったなぁ〜と反省です。

チューリップの原産国は、トルコ
生産地ではオランダが非常に有名で、いろんな国へ輸出されています。
トルコからオランダにチューリップが伝わったのは16世紀頃で、日本には江戸時代後期に伝来したとされますが、普及するに至りませんでした。大正時代に入って、ようやく新潟市で本格的な球根栽培が始まりました。このことから、新潟が「日本チューリップ発祥の地」とされていて、道の駅花夢里にいつには記念碑が建てられています。日本での球根生産は、新潟県や富山県で国内シェアの98%を占めるほど大規模な栽培が行われています。
日本のホームセンターや園芸品店で販売されている球根は、ほとんどがオランダからの輸入品ですけどね。(=^0^=)
昨日はメーデーでしたね。
MayDay(5月の日)、当たり前ですが、(^_^;)
ヨーロッパでは伝統的に、春の訪れを祝う五月の祭りメイフェア( May fair)、メーデー( May day)が催されていました。
日本では1920年の今日、5月2日に上野公園で第1回のメーデーが5千人参加で開催されました。
メーデーに関しては3年前の5月1日のブログに書いていたので・・・
本日5月2日の「今日は何の日」は、
1995年5月2日、 野茂英雄がメジャーリーグ初登板した日です。

背中を打者に向けて球を投げるスタイル、独特のトルネード投法、フォークボールを武器にメジャーリーガーから三振の山を築きあげたドクターKと呼ばれた男!
今でこそ日本人メジャーリーガーは多いですが、その活躍の場が開かれたのは、野茂英雄の功績がかなり大きいといえますね!
ドラフトで史上最多の8球団から1位で指名を受け、近鉄バファローズの一員としてプロ野球選手となった野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだのは1995年の事です。
近鉄バファローズに入団した1年目に18勝を挙げ、最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、投手主要部門のタイトルを総なめにしたほか、最優秀選手、沢村賞、ベストナイン、新人王と8冠も獲得した野茂英雄がなぜ大リーガーへの道へ進んだのでしょう。
入団した1990年に先ほども書いたように18勝、翌1991年には17勝、1992年18勝、1993年17勝、そして近鉄最後の年になった1994年、野茂は肩を故障してシーズン後半を棒に振ってしまい8勝に留まってしまいます。
野茂はこのシーズン終了の契約更改で、複数年契約と代理人交渉制度を希望しますが、この時フロントは「君はもう近鉄の顔ではない」と野茂に言い放ったとされています。フロントに対する不満と1993年から監督となった鈴木啓示が、野茂のフォームを否定しフォームを改造しなければ通用しなくなるなど、フォームを矯正しようとした監督との確執も、近鉄を退団しようと決意する理由になりました。
近鉄フロント陣は、自由契約ではなく任意引退扱いにし、日本プロ野球界では他の球団との契約が出来ないようにしてしまいました。その為、強く希望していたわけでも無かった大リーグへ進むことになるのです。
しかし、大リーグでの活躍も見事なものでした。(^_^)v

ロサンゼルス・ドジャースに入団して初先発した日が今からちょうど17年前の今日でした。
初先発から1ヶ月後の6月2日に初勝利をあげてからの野茂は、引退する2008年までの間、記録に残る活躍ぶりでした。野茂の活躍があってこそ、後の日本人大リーガーがあると思います。
今、この大投手とも言える野茂のあとを継ぐ投手として、若きダルビッシュ有が挑戦しています。
野茂が記録したメジャー史上2人目と言われた、新人時代から3年連続での200奪三振の記録をダルビッシュ有が破ることを期待して、野茂の大リーグ初登板の日を終わりま〜す。(=^0^=)
新潟駅の南口に、チューリップの花で作られた絵が飾られています。今日の強風で大分ひさんな状態になりつつありますが、それでも見学していく人、足を止める人は多く新潟らしい一面を覗かせています。(^^♪
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これからも
応援よろしく!励みになります。
(v^-^v)♪
エリーゼのために
毎日良い天気が続いています。(=^0^=)

外で遊べる時間が増えて、・・・サッカーボールがもうボロボロです。
ドリブル〜!
あっ取られた!d(@^∇゜)/ファイトッ♪
額縁屋さんへ行ってきました。
いつもお世話になっている額縁屋さんですが、最近額縁の割れたガラスの入れ替えしか頼んでいません。
いつも安くして頂いて申し訳ないほどです。(;^_^A
次?は、何か見繕いましょうか ・・・!
本日4月27日の「今日は何の日」は、
1810年4月27日、ベートーヴェンが、「エリーゼのために」を作曲、完成させた日です。
ピアノを弾かれる方なら、ピアノ入門のスタンダードとなっているようですから、1度は経験されていると思います。しかし聴いてみるとわかると思いますが、簡単な曲に思えるこの曲は、テンポや弾く強弱などで同じ曲とは思えないほど違いがでてきます。

タイトルにある「エリーゼ」とは、ベートーヴェンが恋した一人の女性のために作られた事を意味していますが、当時のベートーヴェンは39歳、そして恋した相手は18歳、21歳も年下の若き女性で貴族の娘でした。
互いに恋に落ちますが、結婚するとか恋愛関係になることさえ許されませんでした。
相手の女性の名は、どうも「テレーゼ」だと言う事が後でわかっています。なぜ「エリーゼのために」となったかは、ベートーヴェンの字の汚さから来ているようですね。^_^;
写譜師が読み間違えたためらしいのですが、この原稿が見つかったのは、テレーゼ・マルファッティの手紙箱からで、「テレーゼのために」の直筆譜と「お約束の作品です。」と、書かれた彼女宛ての手紙が発見されたからなんですね。恋のために作曲してしまうベートーヴェン、年齢の差など恋すれば関係ないのは今も昔も変わらないようですね。
でもこの題名の間違いに、気づいたのに何故今まで「テレーゼのために」に変更されないのでしょうね〜。(=^0^=)
この「エリーゼのために」は、アレンジされて詩を付けられ、いろんな人に歌われています。
このカテリーナ・ヴァレンテが歌う「情熱の花(PASSION FLOWER)」もその1つですが、この歌が日本語に翻訳され、歌った人が「ザ・ピーナッツ」(私も古い人を思い出したものだ(^^ゞ)でした。日本語のカバー曲になるのでしょうね。

ザ・ピーナッツの歌声、懐かしいです。初めてみた映画「モスラ」の妖精として歌っていた「モスラーやモスラー・・・」、話しがまったく違う方へいきそうなので今回は止めておきます。(;^_^A
他にも「エリーゼのために」のアレンジ曲と言えば、1981年カネボウ化粧品のキャンペーンソングにもなった阿木燿子作詞の「キッスは目にして」もありました。ザ・ヴィーナスのシングル曲でその年大ヒットした曲でした。
この歌にしても、もう30年以上たつのですね。(^_^;)
結局、彼女との結婚まで考えていたベートーヴェンでしたが、テレーゼの両親や貴族社会の反対などで、破局となってしまいます。ベートーヴェンが貴族の一員であったならば、違った結末だったのでしょうね。
同じ曲か?と思うほどですが、アレンジによっては全く違う曲になるのは不思議に思えますよね〜!
時間がなくなってきました。
次回まで・・・ごきげんようで〜す!
(^▽^)
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪

外で遊べる時間が増えて、・・・サッカーボールがもうボロボロです。
ドリブル〜!
あっ取られた!d(@^∇゜)/ファイトッ♪
額縁屋さんへ行ってきました。いつもお世話になっている額縁屋さんですが、最近額縁の割れたガラスの入れ替えしか頼んでいません。
いつも安くして頂いて申し訳ないほどです。(;^_^A
次?は、何か見繕いましょうか ・・・!
本日4月27日の「今日は何の日」は、
1810年4月27日、ベートーヴェンが、「エリーゼのために」を作曲、完成させた日です。
ピアノを弾かれる方なら、ピアノ入門のスタンダードとなっているようですから、1度は経験されていると思います。しかし聴いてみるとわかると思いますが、簡単な曲に思えるこの曲は、テンポや弾く強弱などで同じ曲とは思えないほど違いがでてきます。


タイトルにある「エリーゼ」とは、ベートーヴェンが恋した一人の女性のために作られた事を意味していますが、当時のベートーヴェンは39歳、そして恋した相手は18歳、21歳も年下の若き女性で貴族の娘でした。
互いに恋に落ちますが、結婚するとか恋愛関係になることさえ許されませんでした。
相手の女性の名は、どうも「テレーゼ」だと言う事が後でわかっています。なぜ「エリーゼのために」となったかは、ベートーヴェンの字の汚さから来ているようですね。^_^;
写譜師が読み間違えたためらしいのですが、この原稿が見つかったのは、テレーゼ・マルファッティの手紙箱からで、「テレーゼのために」の直筆譜と「お約束の作品です。」と、書かれた彼女宛ての手紙が発見されたからなんですね。恋のために作曲してしまうベートーヴェン、年齢の差など恋すれば関係ないのは今も昔も変わらないようですね。
でもこの題名の間違いに、気づいたのに何故今まで「テレーゼのために」に変更されないのでしょうね〜。(=^0^=)
この「エリーゼのために」は、アレンジされて詩を付けられ、いろんな人に歌われています。
このカテリーナ・ヴァレンテが歌う「情熱の花(PASSION FLOWER)」もその1つですが、この歌が日本語に翻訳され、歌った人が「ザ・ピーナッツ」(私も古い人を思い出したものだ(^^ゞ)でした。日本語のカバー曲になるのでしょうね。

ザ・ピーナッツの歌声、懐かしいです。初めてみた映画「モスラ」の妖精として歌っていた「モスラーやモスラー・・・」、話しがまったく違う方へいきそうなので今回は止めておきます。(;^_^A
他にも「エリーゼのために」のアレンジ曲と言えば、1981年カネボウ化粧品のキャンペーンソングにもなった阿木燿子作詞の「キッスは目にして」もありました。ザ・ヴィーナスのシングル曲でその年大ヒットした曲でした。
この歌にしても、もう30年以上たつのですね。(^_^;)
結局、彼女との結婚まで考えていたベートーヴェンでしたが、テレーゼの両親や貴族社会の反対などで、破局となってしまいます。ベートーヴェンが貴族の一員であったならば、違った結末だったのでしょうね。
同じ曲か?と思うほどですが、アレンジによっては全く違う曲になるのは不思議に思えますよね〜!
時間がなくなってきました。
次回まで・・・ごきげんようで〜す!
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今年の桜
本日曇りのち雨、・・・・・

いろんな桜を見ても、やっぱり鳥屋野潟公園の桜を見ないと桜を見た!と言う気になれません。春のこの公園は大好きです(^^♪

小雨降る中、最後になるかもしれない今年の桜を満喫しに来るのは、私だけでは無いですね。(=^0^=)

やっぱり桜はステキです。100枚以上カメラに収めましたが、全部紹介できないのが残念です。(;^_^A
それぞれ大きくして見て頂けると嬉しいです。(^^ゞ
本日4月23日の「今日は何の日」は、
1914年4月23日、森永太一郎がキャラメルを箱詰めにして売り出した日です。
ピンと来るかと思いますが、森永製菓の創業者が森永太一郎氏になるわけですが、前身の「森永西洋菓子製造所」は1899年に設立されました。
森永太一郎氏は、伊万里随一の陶磁器問屋に生まれますが、お父さんが早くに亡くなり、生活苦から親類の家を転々とする不遇の少年時代を送っていました。
17歳の時に横浜で陶磁器を扱う貿易商に勤めますが、その会社は倒産します。その後、九谷焼の貿易商に転じ、23歳の時に九谷焼を売り込む為、単身アメリカへ渡ります。
しかし、九谷焼の売り込みは失敗、何の成果も得られず生活費は底をついてしまいます。公園のベンチに寝泊まりする生活を強いられる日々、偶然目に留めたのが、子どもが捨てたキャラメルの包み紙でした。
「これを日本で売ってみたらどうだろう」これが、森永の代表的なヒット商品となるミルクキャラメルのルーツだと言われています。
(タバコ代用の大人のお菓子でした。)

一度帰国して再び渡米し、ケーキやキャンディーの製造工場で働きながら知識を得ます。そして11年経ち、満を持して帰国後に森永西洋菓子製造所を設立、菓子王が誕生となるわけです。最初はバラ売り秤売りが当たり前の当時でしたが、1914年の今日、箱入りで発売となったわけです。(=^0^=)
最初のエンゼルマークは、現在、森永ミルクキャラメルだけが受け継いで印刷されていますが、このエンゼルが両手で抱えている文字はTMです。知る人は少ないかも知れませんね。これは創業者、森永太一郎のイニシャルなんですよ〜。(^^♪
時間が無いので今日は短めです。(^o^)/
次の休みも見にきたいですが、もう散ってしまっているかも知れません。
桜の咲いている期間はあまりに短いです。もっと長く咲き続けて欲しいものですね〜!(^_^)
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小雨降る中、最後になるかもしれない今年の桜を満喫しに来るのは、私だけでは無いですね。(=^0^=)

やっぱり桜はステキです。100枚以上カメラに収めましたが、全部紹介できないのが残念です。(;^_^A
それぞれ大きくして見て頂けると嬉しいです。(^^ゞ
本日4月23日の「今日は何の日」は、
1914年4月23日、森永太一郎がキャラメルを箱詰めにして売り出した日です。
ピンと来るかと思いますが、森永製菓の創業者が森永太一郎氏になるわけですが、前身の「森永西洋菓子製造所」は1899年に設立されました。
森永太一郎氏は、伊万里随一の陶磁器問屋に生まれますが、お父さんが早くに亡くなり、生活苦から親類の家を転々とする不遇の少年時代を送っていました。17歳の時に横浜で陶磁器を扱う貿易商に勤めますが、その会社は倒産します。その後、九谷焼の貿易商に転じ、23歳の時に九谷焼を売り込む為、単身アメリカへ渡ります。
しかし、九谷焼の売り込みは失敗、何の成果も得られず生活費は底をついてしまいます。公園のベンチに寝泊まりする生活を強いられる日々、偶然目に留めたのが、子どもが捨てたキャラメルの包み紙でした。
「これを日本で売ってみたらどうだろう」これが、森永の代表的なヒット商品となるミルクキャラメルのルーツだと言われています。(タバコ代用の大人のお菓子でした。)

一度帰国して再び渡米し、ケーキやキャンディーの製造工場で働きながら知識を得ます。そして11年経ち、満を持して帰国後に森永西洋菓子製造所を設立、菓子王が誕生となるわけです。最初はバラ売り秤売りが当たり前の当時でしたが、1914年の今日、箱入りで発売となったわけです。(=^0^=)
最初のエンゼルマークは、現在、森永ミルクキャラメルだけが受け継いで印刷されていますが、このエンゼルが両手で抱えている文字はTMです。知る人は少ないかも知れませんね。これは創業者、森永太一郎のイニシャルなんですよ〜。(^^♪時間が無いので今日は短めです。(^o^)/
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ローマの休日
良い天気ですね〜!(^o^)/
家の近くを散歩していたら、桜がいっぺんに咲きほころんでいました。
新潟地方気象台の桜、そして南万代小学校(我が母校)の桜、

どちらもきれいでしたが、来週は鳥屋野公園の桜が見たいなぁ〜
やっぱりまとまって咲いている桜、鳥屋野潟は2000本と言いますから、周り中桜と言うのも迫力があって良いものですよね。(^^♪
本日4月19日の「今日は何の日」は、
1954年4月19日、日本で「ローマの休日」が封切りされた日です。
オードリー主演のこの映画、古い映画だった事を今更ですが思い出させますね。まったく古さを感じさせない映画ですが、私が生まれる前と言う事はそうとう古い映画なのですね。(;^_^A

ローマの休日
あまり知られていないようですが、最初に予定されていた監督はフランク・キャプラでした。ヒロイン候補にはエリザベス・テイラーが挙がっていて、監督は高額の制作費を要求します。
スタジオ側はキャプラを降板させ、当時売り出してきた映画監督のウィリアム・ワイラーを起用することにしますが、条件提示でワイラーは引き受けます。
その条件とは・・・
主役をワイラー自身が選ぶというものでした。
オードリー・ヘップバーンは、幼い頃から憧れていたバレリーナを夢見ていました。
両親の離婚もありバレースクールの授業料を払うために、映画出演を果たします。今で言うアルバイト感覚の仕事のつもりだったのかも知れませんが、バレーをやっていた事が功を奏し、映画「初恋」の主役の妹のバレリーナ役でした。次第に映画にのめりこんでいくヘップバーンでしたが、映画界では無名に近い存在で、女優としては痩せ過ぎだったヘップバーンが、次の映画の面接で向かい合った監督がワイラーでした。
「彼女こそプリンセスだ!」とヒロイン役に抜擢し、撮影を開始します。
相手役のグレゴリーペックとワイラー監督は、新人女優の力量を出すために、真実の口のシーンで本当に手を噛みちぎられたように演じました。知らされていなかったヘプバーンは、驚いて本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せたのでした。この自然な演技は、二人を十分満足させるものであり、1テイクでOKが出たそうです。
その後、フィルムをチェックした監督は衝撃が走ったと言います。
「オードリーはまさに王女だった。そして涙があふれてきた。私には分かっていた。あっという間に世界中が彼女に恋をしてしまうと・・・」
1954年初主演映画で、アカデミー賞主演女優賞を獲得します。
簡単にあらすじを・・・
各国を親善旅行中であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)が、ローマを訪れた時には固苦しい日程が続いていて少々神経衰弱気味でした。侍医は王女に鎮静剤を飲ませますが、疲労の為目が冴えて眠れません。
侍従がいなくなって、王女はひとりで街へ出て見る気になりました。ところが、街を歩いているうちに薬が効いて来て広場のベンチで寝こんでしまいます。そこへ通りかかったアメリカの新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)は、彼女を王女とは知らず、助けおこして自分のアパートへ連れ帰るのでした。
朝、彼女が王女であることを知ったジョーは、特ダネ記事のチャンスと思い、ローマ見物の案内役を引き受けます。アン王女は床屋で髪を短く切らせ、のびのびと遊び歩きました。アイスを食べたり、スクーターを乗り回したり、・・・ジョーの同僚のカメラマン、アーヴィングは、隠しもった小型カメラで王女の行動をスナップしていきました。
一方、王女失踪で大使館は大騒ぎ、世間に公表するわけにも行かず、本国から秘密探偵をよびよせて捜査に当らせました。夜になって、アン王女が遊覧船の上でジョーとダンスを楽しんでいるところへ、秘密探偵が現れます。河にとびこんで二人は追手の眼を逃れますが、いっしょにいる間に、二人は恋心を持つようになります。
この恋は実らないもの・・・、ジョーはアン王女を大使館に送りとどけ、特ダネ用のメモを引きさいてしまいます。数日後、アン王女の新聞記者会見が大使館で行われました。アーヴィングはあのとき撮影したフィルムをそっと王女に渡し、ジョーとアン王女とは、目と目を見合わせ、無言の別れを告げあったのでした。
時間がなくなってしまいました!(;^_^A
これは何でしょう?
ディズニーのホワイトチョコ?
珈琲ブラックでも甘い〜^_^;
息子のお土産ですが、
どうやら私宛では無いようです。
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家の近くを散歩していたら、桜がいっぺんに咲きほころんでいました。
新潟地方気象台の桜、そして南万代小学校(我が母校)の桜、

どちらもきれいでしたが、来週は鳥屋野公園の桜が見たいなぁ〜
やっぱりまとまって咲いている桜、鳥屋野潟は2000本と言いますから、周り中桜と言うのも迫力があって良いものですよね。(^^♪
本日4月19日の「今日は何の日」は、
1954年4月19日、日本で「ローマの休日」が封切りされた日です。
オードリー主演のこの映画、古い映画だった事を今更ですが思い出させますね。まったく古さを感じさせない映画ですが、私が生まれる前と言う事はそうとう古い映画なのですね。(;^_^A

ローマの休日あまり知られていないようですが、最初に予定されていた監督はフランク・キャプラでした。ヒロイン候補にはエリザベス・テイラーが挙がっていて、監督は高額の制作費を要求します。
スタジオ側はキャプラを降板させ、当時売り出してきた映画監督のウィリアム・ワイラーを起用することにしますが、条件提示でワイラーは引き受けます。
その条件とは・・・
主役をワイラー自身が選ぶというものでした。
オードリー・ヘップバーンは、幼い頃から憧れていたバレリーナを夢見ていました。
両親の離婚もありバレースクールの授業料を払うために、映画出演を果たします。今で言うアルバイト感覚の仕事のつもりだったのかも知れませんが、バレーをやっていた事が功を奏し、映画「初恋」の主役の妹のバレリーナ役でした。次第に映画にのめりこんでいくヘップバーンでしたが、映画界では無名に近い存在で、女優としては痩せ過ぎだったヘップバーンが、次の映画の面接で向かい合った監督がワイラーでした。
「彼女こそプリンセスだ!」とヒロイン役に抜擢し、撮影を開始します。
相手役のグレゴリーペックとワイラー監督は、新人女優の力量を出すために、真実の口のシーンで本当に手を噛みちぎられたように演じました。知らされていなかったヘプバーンは、驚いて本気で叫び声を上げ、素のリアクションを見せたのでした。この自然な演技は、二人を十分満足させるものであり、1テイクでOKが出たそうです。
その後、フィルムをチェックした監督は衝撃が走ったと言います。「オードリーはまさに王女だった。そして涙があふれてきた。私には分かっていた。あっという間に世界中が彼女に恋をしてしまうと・・・」
1954年初主演映画で、アカデミー賞主演女優賞を獲得します。
簡単にあらすじを・・・
各国を親善旅行中であるアン王女(オードリー・ヘプバーン)が、ローマを訪れた時には固苦しい日程が続いていて少々神経衰弱気味でした。侍医は王女に鎮静剤を飲ませますが、疲労の為目が冴えて眠れません。
侍従がいなくなって、王女はひとりで街へ出て見る気になりました。ところが、街を歩いているうちに薬が効いて来て広場のベンチで寝こんでしまいます。そこへ通りかかったアメリカの新聞記者ジョー・ブラドリー(グレゴリー・ペック)は、彼女を王女とは知らず、助けおこして自分のアパートへ連れ帰るのでした。
朝、彼女が王女であることを知ったジョーは、特ダネ記事のチャンスと思い、ローマ見物の案内役を引き受けます。アン王女は床屋で髪を短く切らせ、のびのびと遊び歩きました。アイスを食べたり、スクーターを乗り回したり、・・・ジョーの同僚のカメラマン、アーヴィングは、隠しもった小型カメラで王女の行動をスナップしていきました。
一方、王女失踪で大使館は大騒ぎ、世間に公表するわけにも行かず、本国から秘密探偵をよびよせて捜査に当らせました。夜になって、アン王女が遊覧船の上でジョーとダンスを楽しんでいるところへ、秘密探偵が現れます。河にとびこんで二人は追手の眼を逃れますが、いっしょにいる間に、二人は恋心を持つようになります。
この恋は実らないもの・・・、ジョーはアン王女を大使館に送りとどけ、特ダネ用のメモを引きさいてしまいます。数日後、アン王女の新聞記者会見が大使館で行われました。アーヴィングはあのとき撮影したフィルムをそっと王女に渡し、ジョーとアン王女とは、目と目を見合わせ、無言の別れを告げあったのでした。時間がなくなってしまいました!(;^_^A
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小説家、川端康成
今にも桜が咲きそうな陽気に、ついに桜の開花宣言が出されました。
ようやく冬が終わった気分です。(^_^)v


ようやく春を告げる花、鈴蘭のスノーフレークが咲きました。
我が家の春はここから始まります。(^o^)/
チューリップはまだ先のようです。
今日は休みでしたが、ネクタイをして会社の研修会に2時間ほど参加してきました。新しいシステム導入での説明会でしたが、どうもついていけなくなりそうです。(;^_^A
頭が固くなったのかと思いきや、隣の若い人もちんぷんかんぷんのようです。歳のせいでは無さそうだ!(^^ゞ
本日4月16日の「今日は何の日」は、・・・
本日は喜劇王、チャーリー・チャップリンの誕生日ですが、過去ブログを見ると2009年のブログと2010年のブログで2回も書いていましたので、やめておきます。^^;

わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私の欲しいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれるならば、それで十分だ。
1972年、第44回アカデミー賞で2度目の特別名誉賞を受賞したが、アメリカ映画界から追放されていたチャップリンはどんな気持ちで受け止めたのだろう。自身作曲によるスマイルも、会場のゲスト全員で歌われた。
「チャップリンは映画用語の一つである」とアカデミーの会長ダニエル・タラダッシュは述べた。確かに・・(^^♪
1977年のクリスマスの夜、映画館で訃報がアナウンスされました。
88歳でした。(>_<)
今日は別のお話しを(;^_^A
1972年4月16日、小説家の川端康成が、亡くなった日です。
ガス自殺とも事故とも言われていて真相は闇の中ですが、ガスで亡くなったのは事実のようです。
1961年に文化勲章を受章、1968年には日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した、日本の小説家らしい文学作品を多く残された人ですね。
ここでは、川端康成がノーベル賞を受賞した時の、スウェーデンで行った記念講演で演説した「美しい日本の私」を書いてみます。この演説の中には、自然と親しんだ仏教僧やその僧の和歌を沢山紹介しています。
特に「禅」について語っておられましたが、外国人には理解できたのやら・・(;^_^A
道元、明恵、一休、世阿弥、利休、良寛、明恵、芭蕉など、代々日本の芸術家たちが追求してきた「日本の真髄」を強調しており、川端自身の文学の基底にも、禅に通じると言っていますが、なかなか理解しがたいのは、日本人である私自身にもありますね。^_^;
「禅でも師に指導され、師と問答して啓発され、禅の古典を習学するのは勿論ですが、思索の主はあくまで自己、さとりは自分ひとりの力でひらかねばならないのです。」
座禅の方法や師に指導されながら学びを行なっても、「さとり」は自分自身で開かなければならない事、たとえ親が芸術家や優秀なスポーツ選手であっても、子が努力し悟らなければなれないことを話しているわけですが、・・・
簡単に言えば、人間は理屈では無く、直観で目覚めなさい。と言う事のようですが、受賞スピーチに他国(日本)の文化の話をどれだけ理解して頂けるのかは・・・(^^ゞ
川端康成の作品は禅に通じると理解するに留まるのでしょうね。
このスピーチ以来、ほとんどと言っていいほど作品が残っていないのは、一部で受賞が重荷になったと言われていますが、時代が禅に赴きをおいていない・・・らしさを失ったかのような日本の現状から書けなかったのでは?と言えるのかも知れません。
72歳で亡くなった川端さん、もっと作品を読みたかったなぁ〜
明日も良い天気でありますように・・・(=^0^=)
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ようやく冬が終わった気分です。(^_^)v


ようやく春を告げる花、鈴蘭のスノーフレークが咲きました。
我が家の春はここから始まります。(^o^)/
チューリップはまだ先のようです。
今日は休みでしたが、ネクタイをして会社の研修会に2時間ほど参加してきました。新しいシステム導入での説明会でしたが、どうもついていけなくなりそうです。(;^_^A 頭が固くなったのかと思いきや、隣の若い人もちんぷんかんぷんのようです。歳のせいでは無さそうだ!(^^ゞ
本日4月16日の「今日は何の日」は、・・・

わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。私の欲しいのは大衆の喝采だ。大衆が私の仕事を賞賛してくれるならば、それで十分だ。
1972年、第44回アカデミー賞で2度目の特別名誉賞を受賞したが、アメリカ映画界から追放されていたチャップリンはどんな気持ちで受け止めたのだろう。自身作曲によるスマイルも、会場のゲスト全員で歌われた。
「チャップリンは映画用語の一つである」とアカデミーの会長ダニエル・タラダッシュは述べた。確かに・・(^^♪
1977年のクリスマスの夜、映画館で訃報がアナウンスされました。
88歳でした。(>_<)
今日は別のお話しを(;^_^A
1972年4月16日、小説家の川端康成が、亡くなった日です。
ガス自殺とも事故とも言われていて真相は闇の中ですが、ガスで亡くなったのは事実のようです。
1961年に文化勲章を受章、1968年には日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した、日本の小説家らしい文学作品を多く残された人ですね。
ここでは、川端康成がノーベル賞を受賞した時の、スウェーデンで行った記念講演で演説した「美しい日本の私」を書いてみます。この演説の中には、自然と親しんだ仏教僧やその僧の和歌を沢山紹介しています。特に「禅」について語っておられましたが、外国人には理解できたのやら・・(;^_^A
道元、明恵、一休、世阿弥、利休、良寛、明恵、芭蕉など、代々日本の芸術家たちが追求してきた「日本の真髄」を強調しており、川端自身の文学の基底にも、禅に通じると言っていますが、なかなか理解しがたいのは、日本人である私自身にもありますね。^_^;
「禅でも師に指導され、師と問答して啓発され、禅の古典を習学するのは勿論ですが、思索の主はあくまで自己、さとりは自分ひとりの力でひらかねばならないのです。」
座禅の方法や師に指導されながら学びを行なっても、「さとり」は自分自身で開かなければならない事、たとえ親が芸術家や優秀なスポーツ選手であっても、子が努力し悟らなければなれないことを話しているわけですが、・・・
簡単に言えば、人間は理屈では無く、直観で目覚めなさい。と言う事のようですが、受賞スピーチに他国(日本)の文化の話をどれだけ理解して頂けるのかは・・・(^^ゞ
川端康成の作品は禅に通じると理解するに留まるのでしょうね。
このスピーチ以来、ほとんどと言っていいほど作品が残っていないのは、一部で受賞が重荷になったと言われていますが、時代が禅に赴きをおいていない・・・らしさを失ったかのような日本の現状から書けなかったのでは?と言えるのかも知れません。72歳で亡くなった川端さん、もっと作品を読みたかったなぁ〜
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佐々木小次郎
早めに夕ご飯を食べたチョコ、いつもより外はまだ明るい陽射しが・・・
陽が沈む時間が、陽気とともに遅くなってきているようです。(*^ー^*)

もう出て良いの? さて、どこへ行こうかな?

ちょっと準備運動! まだ車がいっぱいだ〜!
まったく車が通らなくなるまで、じ〜と待機しています。
いつものように道路を渡って、線路を越え隣の町内へ・・・事故るなよ〜
春の交通安全週間中!(=^0^=)
今日は朝から、新潟大学医歯学総合病院の歯医者さんへ
この4月から担当医も変わり、瑛太さんから女医さんへ
本日女医さん2回目でした。(^O^)ムフ!
瑛太さんの場合、ちょっと新人っぽく危なっかしかったですが、この女医さんは若いのにしっかりして安心していられます。(^^♪
差し歯が必要な箇所に借歯を入れましたが、1時間半もかかったわりに210円の治療費は安い!そんなものなのでしょうか?社会保険適用ですが、下限の方はもう少し負担があっても良いように思います。(^o^)/

今日観た映画は・・・
エマ・ストーンを久々に観た気がします。
この映画は費用が安く済んだわりにアメリカで大ヒットした映画のようです。しかし日本では人種差別の奴隷扱いという歴史が無いだけに、大ヒットする背景は無いのでしょうね。でも面白かったですよ。(=^0^=)
原作は、1960年代のアメリカ南部を舞台に、ニューヨークタイムズ紙の書籍ランキング103週連続ランクインのベストセラー小説だそうで、ひとりの白人女性によって綴られたヘルプと呼ばれる黒人メイドたちの心の声を書き上げた、笑いと涙に満ちた真実のストーリーとなっているそうです。
1960年代前半の米国南部の町ジャクソン。大学を卒業して実家に戻ったスキーターは、生まれ故郷の保守的な町で旧態依然の人種差別が公然と行われていることにショックを受ける。友人たちは皆結婚して家事も子育ても黒人メイドに任せっきりの暮らしに何の疑いも抱いていない。進歩的で作家志望のスキーターは、メイドたちの虐げられた実態を伝える本を書こうと決意するが、報復を恐れる彼女たちの口はなかなか開かなかった。

他人ごとと思えば笑える話なのでしょうが、当時のアメリカでは自由の国アメリカの汚点とも思える部分ではないでしょうか?そんな事も含め、こうした映画が発表できる今のアメリカは、本当の自由の国となったのでしょうね。
本日4月13日の「今日は何の日」は、
1612年4月13日、剣術家の佐々木小次郎が、宮本武蔵との決闘で死亡した日です。
ちょうど400年昔の話になるわけですが、多くの書き物では宮本武蔵と佐々木小次郎が船島(巌流島)で決闘した日となっていますね。
この巌流島は、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島とのことですが、小さな島だったこの巌流島は、周りが浅瀬という事もあり、船の往来に支障をきたすため三菱重工業によって埋め立てられました。面積は昔の6倍にもなっているとの事です。
今日は佐々木小次郎のお話・・・
今から四百年昔、越前の国の一乗谷に城をかまえる、殿さま朝倉義景がいました。その家臣に、富田勢源という、中条流という剣法を身につけていた強い侍がいました。その勢源が最も得意としていたのは、短い剣を使う剣法(小太刀)です。
ある日、勢源の元に小次郎と名乗る子どもが弟子入りにやってきました。
「強くなりたいのです。弟子にしてください!」
一見ひ弱そうな小次郎には、無理だと思い弟子入りを断りますが、どうしても強くなりたいと言う願いに小次郎を道場の小間使いとして住まわせます。
小間使いとして働くようになった小次郎は、時間を見つけ熱心に修業を積んだおかげで、16才になる頃には道場一の剣術使いになっていたのです。勢源の代わりとして道場を任されるくらい強くなりましたが、まだ師匠には勝てません。
「一体どうすれば、師匠を抜く事が出来るのだろう?」
悩んでいた小次郎は、洗濯物を干す物干し竿を見て、物干し竿を思わせる長い刀を持つことを思いつきます。
しかし師匠の勢源からは、「剣でもっとも重要な物は早さだ。物干し竿の様に長い刀では、早く振る事は出来まい!」と、言われてしまいます。
練習を重ね、腰に差せないほどの長い刀を使いこなせるようにはなりましたが、まだ勝てません。
そんなある日、小次郎は近くの一乗滝で流れる水を見ていました。
するとそこへツバメが飛んできて思いつきます。この素早く飛んでいるツバメは、どんな剣の達人でも斬れないと言われるが、もし斬ることが出来れば師匠に勝てるかも・・・と・・・(^^♪
こうして小次郎は、毎日ツバメにいどみ続け、ついにツバメを斬りおとし師匠にも勝つことが出来ました。(^_^)v
長い剣を使う剣法を厳流と名乗り、ツバメを斬りおとした奥義をツバメ返しと名付け、さらに剣術を磨く為に、武者修業に出かけたのでした。
確か吉川英治が、宮本武蔵を主人公とした話を連載する前は、この佐々木小次郎が主人公の話が多かったと思うのですが、それは武士道にあったと思います。確かに佐々木小次郎は宮本武蔵に敗れました。しかしそれは双方弟子を連れてこないと約束したにも関わらず、宮本武蔵が4人の弟子を連れていた為で、恥じるは武蔵なのです。小次郎の弟子たちはそんな武蔵を卑怯者として追いますが、逃げられてしまいます。・・・
この島が巌流島と言われる由縁は、正々堂々戦った佐々木小次郎の剣法の名からきています。そして宮本武蔵が誰かと勝負したあとに記した五輪書には、この勝負の記載が全く無い事実、私には卑怯な勝ちが書けなかったとしか思えないのですが、・・・・・
と、勝手な私の解釈かも知れませんが、私は佐々木小次郎でありたいと思っております。(*^ー^*)
長くなってしまいました!(;^_^A
また次回・・・(^o^)/
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
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陽が沈む時間が、陽気とともに遅くなってきているようです。(*^ー^*)

もう出て良いの? さて、どこへ行こうかな?

ちょっと準備運動! まだ車がいっぱいだ〜!
まったく車が通らなくなるまで、じ〜と待機しています。
いつものように道路を渡って、線路を越え隣の町内へ・・・事故るなよ〜
春の交通安全週間中!(=^0^=)
今日は朝から、新潟大学医歯学総合病院の歯医者さんへ
この4月から担当医も変わり、瑛太さんから女医さんへ

本日女医さん2回目でした。(^O^)ムフ!
瑛太さんの場合、ちょっと新人っぽく危なっかしかったですが、この女医さんは若いのにしっかりして安心していられます。(^^♪
差し歯が必要な箇所に借歯を入れましたが、1時間半もかかったわりに210円の治療費は安い!そんなものなのでしょうか?社会保険適用ですが、下限の方はもう少し負担があっても良いように思います。(^o^)/

今日観た映画は・・・

エマ・ストーンを久々に観た気がします。
この映画は費用が安く済んだわりにアメリカで大ヒットした映画のようです。しかし日本では人種差別の奴隷扱いという歴史が無いだけに、大ヒットする背景は無いのでしょうね。でも面白かったですよ。(=^0^=)原作は、1960年代のアメリカ南部を舞台に、ニューヨークタイムズ紙の書籍ランキング103週連続ランクインのベストセラー小説だそうで、ひとりの白人女性によって綴られたヘルプと呼ばれる黒人メイドたちの心の声を書き上げた、笑いと涙に満ちた真実のストーリーとなっているそうです。
1960年代前半の米国南部の町ジャクソン。大学を卒業して実家に戻ったスキーターは、生まれ故郷の保守的な町で旧態依然の人種差別が公然と行われていることにショックを受ける。友人たちは皆結婚して家事も子育ても黒人メイドに任せっきりの暮らしに何の疑いも抱いていない。進歩的で作家志望のスキーターは、メイドたちの虐げられた実態を伝える本を書こうと決意するが、報復を恐れる彼女たちの口はなかなか開かなかった。

他人ごとと思えば笑える話なのでしょうが、当時のアメリカでは自由の国アメリカの汚点とも思える部分ではないでしょうか?そんな事も含め、こうした映画が発表できる今のアメリカは、本当の自由の国となったのでしょうね。
本日4月13日の「今日は何の日」は、
1612年4月13日、剣術家の佐々木小次郎が、宮本武蔵との決闘で死亡した日です。
ちょうど400年昔の話になるわけですが、多くの書き物では宮本武蔵と佐々木小次郎が船島(巌流島)で決闘した日となっていますね。この巌流島は、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ無人島とのことですが、小さな島だったこの巌流島は、周りが浅瀬という事もあり、船の往来に支障をきたすため三菱重工業によって埋め立てられました。面積は昔の6倍にもなっているとの事です。
今日は佐々木小次郎のお話・・・
今から四百年昔、越前の国の一乗谷に城をかまえる、殿さま朝倉義景がいました。その家臣に、富田勢源という、中条流という剣法を身につけていた強い侍がいました。その勢源が最も得意としていたのは、短い剣を使う剣法(小太刀)です。
ある日、勢源の元に小次郎と名乗る子どもが弟子入りにやってきました。
「強くなりたいのです。弟子にしてください!」
一見ひ弱そうな小次郎には、無理だと思い弟子入りを断りますが、どうしても強くなりたいと言う願いに小次郎を道場の小間使いとして住まわせます。
小間使いとして働くようになった小次郎は、時間を見つけ熱心に修業を積んだおかげで、16才になる頃には道場一の剣術使いになっていたのです。勢源の代わりとして道場を任されるくらい強くなりましたが、まだ師匠には勝てません。
「一体どうすれば、師匠を抜く事が出来るのだろう?」
悩んでいた小次郎は、洗濯物を干す物干し竿を見て、物干し竿を思わせる長い刀を持つことを思いつきます。
しかし師匠の勢源からは、「剣でもっとも重要な物は早さだ。物干し竿の様に長い刀では、早く振る事は出来まい!」と、言われてしまいます。
練習を重ね、腰に差せないほどの長い刀を使いこなせるようにはなりましたが、まだ勝てません。
そんなある日、小次郎は近くの一乗滝で流れる水を見ていました。
するとそこへツバメが飛んできて思いつきます。この素早く飛んでいるツバメは、どんな剣の達人でも斬れないと言われるが、もし斬ることが出来れば師匠に勝てるかも・・・と・・・(^^♪
こうして小次郎は、毎日ツバメにいどみ続け、ついにツバメを斬りおとし師匠にも勝つことが出来ました。(^_^)v
長い剣を使う剣法を厳流と名乗り、ツバメを斬りおとした奥義をツバメ返しと名付け、さらに剣術を磨く為に、武者修業に出かけたのでした。
確か吉川英治が、宮本武蔵を主人公とした話を連載する前は、この佐々木小次郎が主人公の話が多かったと思うのですが、それは武士道にあったと思います。確かに佐々木小次郎は宮本武蔵に敗れました。しかしそれは双方弟子を連れてこないと約束したにも関わらず、宮本武蔵が4人の弟子を連れていた為で、恥じるは武蔵なのです。小次郎の弟子たちはそんな武蔵を卑怯者として追いますが、逃げられてしまいます。・・・この島が巌流島と言われる由縁は、正々堂々戦った佐々木小次郎の剣法の名からきています。そして宮本武蔵が誰かと勝負したあとに記した五輪書には、この勝負の記載が全く無い事実、私には卑怯な勝ちが書けなかったとしか思えないのですが、・・・・・
と、勝手な私の解釈かも知れませんが、私は佐々木小次郎でありたいと思っております。(*^ー^*)
長くなってしまいました!(;^_^A
また次回・・・(^o^)/
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初のツイッター
初の体験です。(^o^)/

チューリップ40周年のツイッターがあったので、思わず登録してしまいましたが、使い方がよく分からないのです。^_^;
息子に使い方を今教わりましたが、フォローだとかフォロワーだとかツイートする・・だとか今一!(^^ゞ
まあいいか〜
息子につぶやけば?とか言われても、・・・
つぶやきシローでも有るまいし、簡単に出来るか!
ツイッターやっている人いるのかなぁ〜?(;^_^A
本日4月9日の「今日は何の日」は、
1956年4月9日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が初来日した日です。
オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がドイツの作曲家のパウル・ヒンデミットを指揮者として、初めて日本で演奏を行なった日です。
1842年に始まったオーケストラ、ウィーン・フィルですが、コンサート活動を本業とする初のプロ・オーケストラなのです。それまでは劇場だけが専属のオーケストラを持っていたのですね。
世界で5本の指に入ると言われているオーケストラですが、初めの頃はシーズンごとに指揮者が変わるといった固定指揮者制がとられていました。歴代の指揮者の中にカラヤンの名前もあります。
1957年にカラヤンが初来日した時は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を引き連れてやってきましたが、今日はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の話しなので、カラヤンとフィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いて見てください。

(ドヴォルザーク - 交響曲第8番〜第3楽章)
クラシック音楽を聴くには、ワインが合いますね〜!(^^♪
前は白ワインばかり飲んでいましたが、今は赤ばかり、
趣向が変わったのか、舌が変わったのか、・・・?
そんな話はどうでも良かった。(;^_^A
ゲスト指揮者を招いての演奏も多く、日本が世界に誇るマエストロ小澤征爾もたびたび指揮台に上がっていますね。世界を認めさせた先駆者である小澤征爾さんですが、カラヤンやバーンスタインに認められ、世界の一流オーケストラを相手にキャリアを重ねてきたのは、昨年のブログ「指揮者・小澤征爾」にも書きました。2002年より音楽監督と言うのも凄いことですね。(^_^)v
今日は暖かい風が吹きました。
先日の壊れた看板も回復していました。しかし桜はまだ一輪も咲いていません。
今年は春一番が吹かないと言ってたようですが、今日がその日のような気がします。
一気に桜が開花するのか?
新潟の開花予想は14日でした。
間に合うのかなぁ〜(*^ー^*)
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息子に使い方を今教わりましたが、フォローだとかフォロワーだとかツイートする・・だとか今一!(^^ゞ
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つぶやきシローでも有るまいし、簡単に出来るか!
ツイッターやっている人いるのかなぁ〜?(;^_^A
本日4月9日の「今日は何の日」は、
1956年4月9日、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が初来日した日です。
オーストリアのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団がドイツの作曲家のパウル・ヒンデミットを指揮者として、初めて日本で演奏を行なった日です。
1842年に始まったオーケストラ、ウィーン・フィルですが、コンサート活動を本業とする初のプロ・オーケストラなのです。それまでは劇場だけが専属のオーケストラを持っていたのですね。
世界で5本の指に入ると言われているオーケストラですが、初めの頃はシーズンごとに指揮者が変わるといった固定指揮者制がとられていました。歴代の指揮者の中にカラヤンの名前もあります。
1957年にカラヤンが初来日した時は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を引き連れてやってきましたが、今日はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の話しなので、カラヤンとフィルハーモニー管弦楽団の演奏を聴いて見てください。


(ドヴォルザーク - 交響曲第8番〜第3楽章)
前は白ワインばかり飲んでいましたが、今は赤ばかり、
趣向が変わったのか、舌が変わったのか、・・・?
そんな話はどうでも良かった。(;^_^A
ゲスト指揮者を招いての演奏も多く、日本が世界に誇るマエストロ小澤征爾もたびたび指揮台に上がっていますね。世界を認めさせた先駆者である小澤征爾さんですが、カラヤンやバーンスタインに認められ、世界の一流オーケストラを相手にキャリアを重ねてきたのは、昨年のブログ「指揮者・小澤征爾」にも書きました。2002年より音楽監督と言うのも凄いことですね。(^_^)v
今日は暖かい風が吹きました。
先日の壊れた看板も回復していました。しかし桜はまだ一輪も咲いていません。今年は春一番が吹かないと言ってたようですが、今日がその日のような気がします。
一気に桜が開花するのか?
新潟の開花予想は14日でした。
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上記、例として3ヶ並べてみました。こんな感じです。













