クロード・モネ
もう12月なのに、年賀状を書こうと言う気になれません。
忙しくなる前に、作っておくべきでした。(ーー;)
それに拍車をかけているものが、・・・プリンターのインク切れ!
来年は何年でしたかね~?^_^;
休みに何も手につかない12月です。
やっぱり疲れているなあ~(;^_^A アセアセ・・・
春の陽気ではないですが、今日はウトウトしっぱなしでした。
で、何もしないで1日が終わります。(>_<)
本日12月5日の「今日は何の日」は、
1926年12月5日、印象派を代表するフランスの画家でした。クロード・モネが、亡くなった日です。86歳でした。

1865年に画家として初の作品を出品して以来、1871年位から精力的に作品を描き続けました。
中でも1874年4月に、パリの写真家のアトリエで行なわれた展覧会「匿名協会」でモネは油絵を5点出品していますが、その中の1つ
「印象、日の出」は、後にこの展覧会を「第1回印象派展」と呼ぶようになった「印象派」の名前の由来にもなったことで知られています。
この絵は、パリのマルモッタン美術館に所蔵されていますが、この美術館の絵は「日没」を描いたもので、「第1回印象派展」に出された「日の出」とは別の作品と言う人もいます。確かに日の出だか日没だか私にはよく分かりませんが・・・^_^;
私はモネの作品の中では、
奥さんを描いたこの絵が一番好きです。
クロード・モネの最も世に知られる代表作のひとつ「散歩、日傘をさす女性」ですが、1867年8月に生まれた長男ジャンと、1870年に正式に結婚した妻カミーユ・ドンシューを描いたものです。
この絵は1876年に開催された「第2回印象派展」に出品された作品です。
顔の部分を拡大してみると、逆光と風の中のカミーユのおぼろげな表情にも瞬間的な印象性が、目や鼻などちゃんと描かれていて人物描写に重点を置いていることがわかります。
奥さまカミーユは、若くして1879年に亡くなります。
約10年後に同じように描かれた対画、「戸外の人物習作(右向き)」、「戸外の人物習作(左向き)」、は人物と風景が渾然一体となって表現されており、顔ははっきりとは描かれていません。

モデルは友人の子ども、当時18歳のシュザンヌ・オシュデを描いたものです。どこにも書かれていませんが、この似た背景で、私は亡くなった妻カミーユの面影を見てハッキリ顔を描けなかったと思っているわけですが、いろんな解説書を見る限りでは、新たな表現や手法を模索した時期であり、戸外における人物と自然(光や風景)の融合を試みた作品となっています。
どうなんでしょ?(ーー;)
1890年代終わりから描きはじめた「睡蓮」の連作は、モネが亡くなるまで200点以上描かれていますが、日本が好きな画家で日本庭園や池の蓮の絵は非常に多く、モネの作品は日本に数多く残っていますね。
時間が無くなってしまいました。
映画は沢山観ているのですが、書こうと思う作品は中々・・です。(^^ゞ
次にまとめて・・・?
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪
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1926年12月5日、印象派を代表するフランスの画家でした。クロード・モネが、亡くなった日です。86歳でした。

1865年に画家として初の作品を出品して以来、1871年位から精力的に作品を描き続けました。
中でも1874年4月に、パリの写真家のアトリエで行なわれた展覧会「匿名協会」でモネは油絵を5点出品していますが、その中の1つ

この絵は、パリのマルモッタン美術館に所蔵されていますが、この美術館の絵は「日没」を描いたもので、「第1回印象派展」に出された「日の出」とは別の作品と言う人もいます。確かに日の出だか日没だか私にはよく分かりませんが・・・^_^;


クロード・モネの最も世に知られる代表作のひとつ「散歩、日傘をさす女性」ですが、1867年8月に生まれた長男ジャンと、1870年に正式に結婚した妻カミーユ・ドンシューを描いたものです。
この絵は1876年に開催された「第2回印象派展」に出品された作品です。
顔の部分を拡大してみると、逆光と風の中のカミーユのおぼろげな表情にも瞬間的な印象性が、目や鼻などちゃんと描かれていて人物描写に重点を置いていることがわかります。
奥さまカミーユは、若くして1879年に亡くなります。
約10年後に同じように描かれた対画、「戸外の人物習作(右向き)」、「戸外の人物習作(左向き)」、は人物と風景が渾然一体となって表現されており、顔ははっきりとは描かれていません。


モデルは友人の子ども、当時18歳のシュザンヌ・オシュデを描いたものです。どこにも書かれていませんが、この似た背景で、私は亡くなった妻カミーユの面影を見てハッキリ顔を描けなかったと思っているわけですが、いろんな解説書を見る限りでは、新たな表現や手法を模索した時期であり、戸外における人物と自然(光や風景)の融合を試みた作品となっています。
どうなんでしょ?(ーー;)
1890年代終わりから描きはじめた「睡蓮」の連作は、モネが亡くなるまで200点以上描かれていますが、日本が好きな画家で日本庭園や池の蓮の絵は非常に多く、モネの作品は日本に数多く残っていますね。
時間が無くなってしまいました。
映画は沢山観ているのですが、書こうと思う作品は中々・・です。(^^ゞ
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