ポール・アンカ
またまたディスクトップの画像を変えました。(=^0^=)

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ちょっとアゲハが大き過ぎたかな?^_^;
四季ごとに変えようと思っています。
月末は何かと忙しい・・・
早く盆休みが来ないかな~!中学校の4年に1回の同窓会がもうすぐです。前後4日間休みを入れました。今年は次の日も休みだから、2次会でも3次会でも付き合うぞ!(=^0^=)
本日7月30日の「今日は何の日」は、
1941年7月30日、16歳で突然デビューを果たしたシンガー、ソングライターのポール・アンカの誕生日です。今日で71歳?ですね。私より1廻り以上年上ですが、幼い頃から聴いて知っていたので、もうこんな歳なんだ~!と今更ですが思い知らされます。(;^_^A
ポール・アンカの親はレストランを経営していて、人気スターたちがよくショーを開いていました。ある日、店に当時大スターだったロック歌手のファッツ・ドミノが出演、ポールはこの大スターに会いたい一心で楽屋に押しかけます。その場にショーをマネージメントしていたアーウイン・フェルドがいました。
この出逢いが将来ポールの人生を大きく変えるきっかけになるんですね。(^▽^)
歌が大好きで、12歳で出た音楽コンテストにも優勝したり、音楽活動に一生懸命でした。しかし両親は法律かジャーナリズムの道を希望しており、ポールも音楽か進学するか悩む年頃になっていきます。

悩んでいたポールは昔 楽屋で会ったアーウイン・フェルドと偶然再会します。そこで「ニューヨークに出て運を試してみたら?」と勧められ、10日間の約束でニューヨークに行かせてもらえる事になりました。両親は本音では反対でしたが、何もしないであとで後悔させるより納得して音楽を止めさせる方が良い・・ましてたった10日間で何も出来るわけが無いと思っての事でした。(^^ゞ
ところがニューヨークへ着いて、有名プロデューサーのトム・コスタに知り合いを通じて会えたのです。
その時に歌った自作の曲が、デビュー曲、そして大ヒット曲となった
「ダイアナ」(Diana)です。(^o^)/
16歳のポールが、自分の弟のベビーシッターへの片思いを綴った自作曲ですが、年上の女性への想いを込めた曲にトムは才能を見抜いたのでした。この曲はいきなりビルボードの1位にランクインします。
その後、「君は我が運命」"You Are My Destiny"、
「ロンリー・ボーイ」"Lonely Boy"などのヒットを飛ばしていきます。
数々の名曲を発表していきますが、中でもフランク・シナトラに提供した「マイ・ウェイ」はポップス史に残る名作と言えますね。原曲は1967年のフランス語の歌「Comme d'habitude」なのですが、交渉して曲を若干手直しはしましたが、フランク・シナトラの為に詩を書き提供したものでした。
「マイ・ウェイ」
フランク・シナトラの「マイ・ウェイ」も好きなのですが、今回はポール・アンカの話しなので、ポールが歌っている方をアップしています。
フランク・シナトラバージョンは、1969年のはじめに発売され、アメリカでは27位を記録、イギリスでは40位以内に75週間(約2年半)も入ると言う凄い記録をつくりました。
洋楽を日本語に訳して歌ったものにあまり良いと感じたものは有りませんでした。それは日本人の感性の良さと言えば語弊があるのかも知れませんが、ポールの詩は人生最後に自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて振り返り、後悔していないと言う内容ですが、直訳してしまうとあまり良い詩とは日本人には聴こえないでしょう。
この歌は本当に多くの人がカバーしていますが、お見事と思ったのが布施明が歌った「マイ・ウェイ」です。
このまったく原作を無視した訳詞は、悪い意味では無く日本人の感性に一致した訳だと思います。(^_^)v
長くなってしまいました。(;^_^A アセアセ・・・
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本日7月30日の「今日は何の日」は、
1941年7月30日、16歳で突然デビューを果たしたシンガー、ソングライターのポール・アンカの誕生日です。今日で71歳?ですね。私より1廻り以上年上ですが、幼い頃から聴いて知っていたので、もうこんな歳なんだ~!と今更ですが思い知らされます。(;^_^A

この出逢いが将来ポールの人生を大きく変えるきっかけになるんですね。(^▽^)
歌が大好きで、12歳で出た音楽コンテストにも優勝したり、音楽活動に一生懸命でした。しかし両親は法律かジャーナリズムの道を希望しており、ポールも音楽か進学するか悩む年頃になっていきます。

悩んでいたポールは昔 楽屋で会ったアーウイン・フェルドと偶然再会します。そこで「ニューヨークに出て運を試してみたら?」と勧められ、10日間の約束でニューヨークに行かせてもらえる事になりました。両親は本音では反対でしたが、何もしないであとで後悔させるより納得して音楽を止めさせる方が良い・・ましてたった10日間で何も出来るわけが無いと思っての事でした。(^^ゞ

その時に歌った自作の曲が、デビュー曲、そして大ヒット曲となった

16歳のポールが、自分の弟のベビーシッターへの片思いを綴った自作曲ですが、年上の女性への想いを込めた曲にトムは才能を見抜いたのでした。この曲はいきなりビルボードの1位にランクインします。


「ロンリー・ボーイ」"Lonely Boy"などのヒットを飛ばしていきます。
数々の名曲を発表していきますが、中でもフランク・シナトラに提供した「マイ・ウェイ」はポップス史に残る名作と言えますね。原曲は1967年のフランス語の歌「Comme d'habitude」なのですが、交渉して曲を若干手直しはしましたが、フランク・シナトラの為に詩を書き提供したものでした。
「マイ・ウェイ」

フランク・シナトラバージョンは、1969年のはじめに発売され、アメリカでは27位を記録、イギリスでは40位以内に75週間(約2年半)も入ると言う凄い記録をつくりました。
洋楽を日本語に訳して歌ったものにあまり良いと感じたものは有りませんでした。それは日本人の感性の良さと言えば語弊があるのかも知れませんが、ポールの詩は人生最後に自分の人生で起こったすべての苦難に対して行ったことについて振り返り、後悔していないと言う内容ですが、直訳してしまうとあまり良い詩とは日本人には聴こえないでしょう。

このまったく原作を無視した訳詞は、悪い意味では無く日本人の感性に一致した訳だと思います。(^_^)v
長くなってしまいました。(;^_^A アセアセ・・・
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