ジャンヌ・ダルクの死
今日は一日雨でした。(*^-^)b
日本全国雨だったのでしょうか?水やりが一回サボれました。(^^ゞ
本日の我が家の3色芍薬はびしょ濡れです。(=^0^=)

ラジオを聴いていたら、バラがいっぱい咲いている二宮邸の庭が見頃だとか・・・天気の良い休みがあったら見に行きたいですね。(^o^)/
我が家の2本のバラの木は、花が1ヶだけ付きました。
昨年植えた方の黄色いバラです。我が家はまだまだです。「('ヘ`;

本日5月30日の「今日は何の日」は、
1431年5月30日、フランス国民の英雄の一人、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍により火刑された日です。
ジャンヌ・ダルクは、イギリスとフランスの間で王位継承を巡って勃発した百年戦争真っ只中を生きた人でしたね。
1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状から始まったとされる百年戦争は、1453年10月19日のボルドー陥落まで続いたとされています。
今のイギリスとフランスの国境が確立した戦争でもありました。

特にジャンヌ・ダルクが、この116年間もの対立の中で 圧倒的に不利であったフランス国王シャルル7世を助け、イングランド連合軍に包囲されたオルレアンへ進軍し町の解放に貢献、結果フランスに勝利をもたらした事で、救世主・あるいは聖女と称えられた人となります。
その後もイギリス軍の包囲網を突破し、ロワール川を制圧、ランスに到着したフランス軍のシャルル7世は、ノートルダム大聖堂で戴冠式を行いました。

ジャンヌ・ダルクはその後、シャルル7世によりパリの解放を指示されますが、1430年、コンピエーニュの戦いで負傷、捕虜として捕らえられ、1431年の今日、火刑に処されました。
ジャンヌ・ダルク
このコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ軍に捕えられ、同盟関係にあったイギリスにに身柄が引き渡されました。
そしてイギリス主導で行われた宗教裁判にて「魔女=悪魔」というレッテルを貼られ、「女性でありながら男性の格好をした罪とカトリックの教義に反して神の声を聞いた罪」で有罪となり、異端者として教会から破門とイングランド軍による死刑を宣告されたのでした。
若干19歳、数えで20歳の女性でした。

ドムレミという小さな村に住む羊飼いの娘ジャンヌ・ダルクが、神の声「立って祖国を救え」に従い、祖国の大半を奪われていたフランス軍を連戦連勝に導くなどと誰が信じたのでしょう・・・。(^^ゞ
1450年、ローマ教皇カリストゥス3世は宗教裁判のやり直しを命じました。イギリス主導で行われた宗教裁判の不当性が次々と明るみになり、1456年7月2日、ローマ法王庁の名において、ジャンヌ・ダルクの無罪が宣言されました。(=^0^=)
・・それから464年経った1920年に、ローマ教皇ベネディクト15世によって、聖女の称号を与えられます。聖人となったジャンヌ・ダルクは今でも語り継がれるように、私たちの耳にも知られる人物となったのでした。
何度も映画化されたジャンヌ・ダルクですが、どの映画も今ひとつ、このジャンヌ・ダルクを外面からでしか描ききれていないのに歯がゆさを感じますね。(・∀・)b
今日梅雨入りしたのかな?この時期になると草も元気になりますね~!
草も花を咲かせると、なかなか抜けないです。(^^ゞ
いたるところに草ぼうぼうと生えてしまって・・・(>_<)

ピンクっぽい草、白っぽい草、・・・
花も草も、ほとんど私には名前がわかりませんが、草にもきっと、名前があるのでしょうね。(=^0^=)
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ラジオを聴いていたら、バラがいっぱい咲いている二宮邸の庭が見頃だとか・・・天気の良い休みがあったら見に行きたいですね。(^o^)/
我が家の2本のバラの木は、花が1ヶだけ付きました。
昨年植えた方の黄色いバラです。我が家はまだまだです。「('ヘ`;

本日5月30日の「今日は何の日」は、
1431年5月30日、フランス国民の英雄の一人、ジャンヌ・ダルクがイギリス軍により火刑された日です。
ジャンヌ・ダルクは、イギリスとフランスの間で王位継承を巡って勃発した百年戦争真っ只中を生きた人でしたね。
1337年11月1日のエドワード3世によるフランスへの挑戦状から始まったとされる百年戦争は、1453年10月19日のボルドー陥落まで続いたとされています。
今のイギリスとフランスの国境が確立した戦争でもありました。

特にジャンヌ・ダルクが、この116年間もの対立の中で 圧倒的に不利であったフランス国王シャルル7世を助け、イングランド連合軍に包囲されたオルレアンへ進軍し町の解放に貢献、結果フランスに勝利をもたらした事で、救世主・あるいは聖女と称えられた人となります。


ジャンヌ・ダルクはその後、シャルル7世によりパリの解放を指示されますが、1430年、コンピエーニュの戦いで負傷、捕虜として捕らえられ、1431年の今日、火刑に処されました。

このコンピエーニュの戦いでブルゴーニュ軍に捕えられ、同盟関係にあったイギリスにに身柄が引き渡されました。
そしてイギリス主導で行われた宗教裁判にて「魔女=悪魔」というレッテルを貼られ、「女性でありながら男性の格好をした罪とカトリックの教義に反して神の声を聞いた罪」で有罪となり、異端者として教会から破門とイングランド軍による死刑を宣告されたのでした。
若干19歳、数えで20歳の女性でした。

ドムレミという小さな村に住む羊飼いの娘ジャンヌ・ダルクが、神の声「立って祖国を救え」に従い、祖国の大半を奪われていたフランス軍を連戦連勝に導くなどと誰が信じたのでしょう・・・。(^^ゞ
1450年、ローマ教皇カリストゥス3世は宗教裁判のやり直しを命じました。イギリス主導で行われた宗教裁判の不当性が次々と明るみになり、1456年7月2日、ローマ法王庁の名において、ジャンヌ・ダルクの無罪が宣言されました。(=^0^=)
・・それから464年経った1920年に、ローマ教皇ベネディクト15世によって、聖女の称号を与えられます。聖人となったジャンヌ・ダルクは今でも語り継がれるように、私たちの耳にも知られる人物となったのでした。
何度も映画化されたジャンヌ・ダルクですが、どの映画も今ひとつ、このジャンヌ・ダルクを外面からでしか描ききれていないのに歯がゆさを感じますね。(・∀・)b
今日梅雨入りしたのかな?この時期になると草も元気になりますね~!
草も花を咲かせると、なかなか抜けないです。(^^ゞ
いたるところに草ぼうぼうと生えてしまって・・・(>_<)


ピンクっぽい草、白っぽい草、・・・
花も草も、ほとんど私には名前がわかりませんが、草にもきっと、名前があるのでしょうね。(=^0^=)
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