雨の紫陽花とシーボルト
ようやく梅雨入りを実感しています。(^-^)/
昨日からの雨、今日も雨、雨を受けて新潟市内の天寿園(日本庭園と中国庭園のある所)へ紫陽花を見に行って来ました。(^-^)/

これはホンアジサイ、西洋アジサイとか言われたりします。
イギリスなどの西洋諸国で、東洋の花として人気が上がりました。(・∀・)
綺麗な花にはつきもの、品種改良が盛んに行われ大正時代に逆輸入されて入ってきた品種が主になります。丸っこい紫陽花ですね。(^_^)

こちらが、日本固有の額紫陽花。(クリックで大きく見れます。)
前回の護摩堂山では多く見られた種類です。
現在の日本では、逆輸入された丸っこい紫陽花が好まれ、多くの人が植えたりしていますね。(・∀・)
この紫陽花にまつわる話を少し書いてみましょう。(^-^)
オランダから来たドイツ人に、シーボルトと言う人がいます。

聞いた事のある名前だと思いますが、大学を卒業後に医師として働いていましたが、大学時代に学んだ動物学・植物学・民族学などから、異国の自然を勉強したくて、オランダの陸軍軍医となりました。
オランダは日本との貿易を考え、日本の事を調べるようシーボルトに伝えます。
1823年8月11日、シーボルトは長崎へ到着。
その頃の日本では外国人は自由に動き回る事は出来ませんでしたが、シーボルトはすぐれた医者でしたので長崎の町で病人を診る事が特別に許されたのです。日本各地から集まった医師たちにも医学を教え、その後多くの医者や学者が活躍していきました。
その変わりに生徒たちから日本研究の為、いろんな事を教えてもらいました。
1826年、オランダ商館長の江戸参府に同行、外国人が自由に旅行することを禁止されていた為、シーボルトにとっては日本の事を調べる絶好の機会、旅の途中で植物や動物の採取をしたり、日本研究に役立てるための品物をもらったりしました。この旅行で集めた本や絵、品物は、船でオランダまで送られたのですね。(・∀・)p
翌年、運命の女性お滝さんと出会い、イネと言う娘もできますが・・・
「シーボルト事件」が起こりました。シーボルトが日本調査のため集めた品物の中に、日本地図や将軍家の家紋である葵の紋付きの着物など、そのころ日本から持ち出すことが禁じられていたものがあった為、長い取り調べのあと、関係があった人びとは処罰され、シーボルトは国外追放を申し渡されたのです。(>_<)
ヨーロッパに帰ったシーボルトは日本で集めた資料や知識をもとに、日本についての研究書である「日本(ニッポン)」や、日本の植物・動物を紹介する「日本植物誌」「日本動物誌」などを書いて出版しました。そして、日本の植物を栽培し、ヨーロッパに普及させたのです。
その中に、紫陽花もあったのですね。(^-^)
長崎では既に丸っこい紫陽花は数種有ったようですね。
シーボルトは、大好きだった丸っこい紫陽花に、愛する人の名前から「オタクサ」と学名をつけ、ヨーロッパに紹介したのでした。(・∀・)
新潟市内の天寿園の紫陽花です。

雨に濡れた紫陽花は、やっぱり似合いです。(^-^)

梅雨本番ですね。(´∀`)
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪
こちらはブログランキングです。
これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪
昨日からの雨、今日も雨、雨を受けて新潟市内の天寿園(日本庭園と中国庭園のある所)へ紫陽花を見に行って来ました。(^-^)/


イギリスなどの西洋諸国で、東洋の花として人気が上がりました。(・∀・)
綺麗な花にはつきもの、品種改良が盛んに行われ大正時代に逆輸入されて入ってきた品種が主になります。丸っこい紫陽花ですね。(^_^)


前回の護摩堂山では多く見られた種類です。
現在の日本では、逆輸入された丸っこい紫陽花が好まれ、多くの人が植えたりしていますね。(・∀・)
この紫陽花にまつわる話を少し書いてみましょう。(^-^)
オランダから来たドイツ人に、シーボルトと言う人がいます。

聞いた事のある名前だと思いますが、大学を卒業後に医師として働いていましたが、大学時代に学んだ動物学・植物学・民族学などから、異国の自然を勉強したくて、オランダの陸軍軍医となりました。
オランダは日本との貿易を考え、日本の事を調べるようシーボルトに伝えます。
1823年8月11日、シーボルトは長崎へ到着。
その頃の日本では外国人は自由に動き回る事は出来ませんでしたが、シーボルトはすぐれた医者でしたので長崎の町で病人を診る事が特別に許されたのです。日本各地から集まった医師たちにも医学を教え、その後多くの医者や学者が活躍していきました。
その変わりに生徒たちから日本研究の為、いろんな事を教えてもらいました。
1826年、オランダ商館長の江戸参府に同行、外国人が自由に旅行することを禁止されていた為、シーボルトにとっては日本の事を調べる絶好の機会、旅の途中で植物や動物の採取をしたり、日本研究に役立てるための品物をもらったりしました。この旅行で集めた本や絵、品物は、船でオランダまで送られたのですね。(・∀・)p

「シーボルト事件」が起こりました。シーボルトが日本調査のため集めた品物の中に、日本地図や将軍家の家紋である葵の紋付きの着物など、そのころ日本から持ち出すことが禁じられていたものがあった為、長い取り調べのあと、関係があった人びとは処罰され、シーボルトは国外追放を申し渡されたのです。(>_<)
ヨーロッパに帰ったシーボルトは日本で集めた資料や知識をもとに、日本についての研究書である「日本(ニッポン)」や、日本の植物・動物を紹介する「日本植物誌」「日本動物誌」などを書いて出版しました。そして、日本の植物を栽培し、ヨーロッパに普及させたのです。
その中に、紫陽花もあったのですね。(^-^)
長崎では既に丸っこい紫陽花は数種有ったようですね。
シーボルトは、大好きだった丸っこい紫陽花に、愛する人の名前から「オタクサ」と学名をつけ、ヨーロッパに紹介したのでした。(・∀・)
新潟市内の天寿園の紫陽花です。


雨に濡れた紫陽花は、やっぱり似合いです。(^-^)


梅雨本番ですね。(´∀`)
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

こちらはブログランキングです。
これからも

励みになります。
(v^-^v)♪