指揮者・小澤征爾
今日も研修を受けた気分です。^_^;
今年のアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞した「インサイド・ジョブ 」世界不況の知られざる真実
映画は娯楽であって欲しいと言う思いを、見事に裏切ってくれた映画です。もっと予告編をよく見てからにすれば良かった!(>_<)
2時間の研修内容は、違った映画は・・・
2008年に起きたリーマン・ブラザーズ社破綻から、何故それがきっかけで世界同時不況が起きたのか?あまりに自由なアメリカならではの事ですね~!一部の富裕層の有利なように、企業の役員や顧問が政治家を動かし法律を改正、1930年代の大恐慌を教訓に金融業界にかけられていた規制が、1980年代のレーガン政権時代以降、規制が次々と撤廃されました。そこから、投資や利益の追求に歯止めが利かなくなっていきます。
ハイリスク、ハイリターンが求められ、とうとう国家規模のネズミ講のようになってしまいます。破綻の前にはもうどうにもならない状況が分かっていました。それでも一般投資家からお金をかき集め、儲けるだけ儲けて不良債権になる前に処理して・・・そして住宅バブルが崩壊します。
手持ちのお金が無く、99%借金で建てられたマイホームも、いまやゴーストタウン化しています。買い手もつかない空き家、テント暮らしをする人々・・・
こんな状態でも責任を取る者は1人も居らず、不当とも思われる儲けたお金も回収される事もなく、何をやっても儲けた者勝ちみたいな歯止めが利かないアメリカ!
この映画が全てでは無いにしろ、アメリカの金融業界は弱者を食い尽くしてしまった獣のようで、これからはアメリカだけでなく、世界経済を食い荒らしていくことでしょう。日本ではすでに円高が始まっています。
本日9月12日の「今日は何の日」は、
1959年9月12日、指揮者の小澤征爾氏がブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した日です。
小澤は24歳の時に、単身でフランスに音楽修業に出かけ、ブザンソン国際コンクールに出演、指揮者部門で優勝を果たしました。このブザンソン国際コンクール(日本ではそれぞれ独立して「ブザンソン国際指揮者コンクール」、「ブザンソン国際作曲コンクール」などと表記される事が多い)は、若手指揮者の登竜門として名高いものですが、日本人指揮者としては初の快挙でした。
1951年から長い伝統を誇る、国際的にも名高いコンクールで第9回の優勝者となるわけですが、その後 第32回優勝者・松尾葉子さん、第39回優勝者・佐渡裕さん、第40回優勝者・沼尻竜典さん、第43回優勝者・曽我大介さん、第44回優勝者・阪哲朗さん、第47回優勝者・下野竜也さん、第51回優勝者・山田和樹さんなど多数の指揮者が進出しています。
日本人の感性からなる指揮者ぶりに、世界を認めさせた先駆者である小澤征爾さんは、その後カラヤンやバーンスタインに認められ、世界の一流オーケストラを相手にキャリアを重ねてきたのは誰もが知る所かも知れませんね。
そして1999年6月、ビックリしましたね~!
それまで、ボストン交響楽団の音楽監督を務める指揮者だった小澤征爾さんが、2002年よりウィーン国立歌劇場の音楽監督に就くと発表されました。ウィーン国立歌劇場の名前を知らない人でも、同歌劇場の管弦楽団がコンサートの時に使う名称が、あのウィーン・フィルだと言えば、このポストの重みが分かるでしょうか?

2002年1月、日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮します。
ここに、日本人である小澤さんが、望まれて座ったことの文化的・芸術的意味!計り知れないほど大きいと言えますね。(^o^)/
2005年暮れに体調を崩し、2006年6月には指揮活動を再開しますが、昨年2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念、食道全摘出手術を受け、昨年8月に復帰、更に今年1月悪化した腰の手術を受ける。
9月1日で76歳となった小澤征爾さん、生涯指揮者を貫くつもりでしょうか?もうゆっくりされても良いと思いますが、独特の指揮者ぶりはもっと見ていたい気も致します。m(__)m
毎日暑いですね~!新潟では連日夏日!30度以上超えています。
台風の時もほとんど雨が降らなかった新潟でした。
9月の歌と言えば!

次はこれでしょうか?(^^♪太田裕美さんの「9月の雨」
忘れられない歌手です。^_^;
当時の「木綿のハンカチーフ」が流行っていた遠い昔、そっくりの女の子と付き合っていました。(^_^)v
この写真が一番似ています。
舌ったらずで似た雰囲気の女の子、当時東京にいた私は東北大学までよく逢いに行きました。おかげで仙台の街は当時地図を見なくても歩けるくらい・・・この歌が流行った頃、帰り土産に「木綿のハンカチーフ」をねだりもらった事がありました。
でもアッサリ別れはやってきました。
手遅れの乳ガンでした。
東北大学の先輩に、私の小学校の同級生がいます。
いつも隠れ家で飲み会に来るメンバーの1人です。亡くなった後、無意識に仙台の街に一人いました。そのまま東北大学へ行き、小学校の同級生に逢って帰ろうと思いましたが、見つけられなかった。^_^;
それ以来、仙台には行ってません。
もう何十年も前のお話し!(^^ゞ
病気・入院という言葉を聞くと、他人事には思えません。
3.11の地震以来、ブロガーさんたちの入院・病気をよく見聞き致します。皆様健康には十分気をつけて下さいね!(^o^)/
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪

映画は娯楽であって欲しいと言う思いを、見事に裏切ってくれた映画です。もっと予告編をよく見てからにすれば良かった!(>_<)
2時間の研修内容は、違った映画は・・・
2008年に起きたリーマン・ブラザーズ社破綻から、何故それがきっかけで世界同時不況が起きたのか?あまりに自由なアメリカならではの事ですね~!一部の富裕層の有利なように、企業の役員や顧問が政治家を動かし法律を改正、1930年代の大恐慌を教訓に金融業界にかけられていた規制が、1980年代のレーガン政権時代以降、規制が次々と撤廃されました。そこから、投資や利益の追求に歯止めが利かなくなっていきます。
ハイリスク、ハイリターンが求められ、とうとう国家規模のネズミ講のようになってしまいます。破綻の前にはもうどうにもならない状況が分かっていました。それでも一般投資家からお金をかき集め、儲けるだけ儲けて不良債権になる前に処理して・・・そして住宅バブルが崩壊します。
手持ちのお金が無く、99%借金で建てられたマイホームも、いまやゴーストタウン化しています。買い手もつかない空き家、テント暮らしをする人々・・・
こんな状態でも責任を取る者は1人も居らず、不当とも思われる儲けたお金も回収される事もなく、何をやっても儲けた者勝ちみたいな歯止めが利かないアメリカ!
この映画が全てでは無いにしろ、アメリカの金融業界は弱者を食い尽くしてしまった獣のようで、これからはアメリカだけでなく、世界経済を食い荒らしていくことでしょう。日本ではすでに円高が始まっています。
本日9月12日の「今日は何の日」は、
1959年9月12日、指揮者の小澤征爾氏がブザンソン国際指揮者コンクールで優勝した日です。

1951年から長い伝統を誇る、国際的にも名高いコンクールで第9回の優勝者となるわけですが、その後 第32回優勝者・松尾葉子さん、第39回優勝者・佐渡裕さん、第40回優勝者・沼尻竜典さん、第43回優勝者・曽我大介さん、第44回優勝者・阪哲朗さん、第47回優勝者・下野竜也さん、第51回優勝者・山田和樹さんなど多数の指揮者が進出しています。
日本人の感性からなる指揮者ぶりに、世界を認めさせた先駆者である小澤征爾さんは、その後カラヤンやバーンスタインに認められ、世界の一流オーケストラを相手にキャリアを重ねてきたのは誰もが知る所かも知れませんね。
そして1999年6月、ビックリしましたね~!
それまで、ボストン交響楽団の音楽監督を務める指揮者だった小澤征爾さんが、2002年よりウィーン国立歌劇場の音楽監督に就くと発表されました。ウィーン国立歌劇場の名前を知らない人でも、同歌劇場の管弦楽団がコンサートの時に使う名称が、あのウィーン・フィルだと言えば、このポストの重みが分かるでしょうか?


ここに、日本人である小澤さんが、望まれて座ったことの文化的・芸術的意味!計り知れないほど大きいと言えますね。(^o^)/
2005年暮れに体調を崩し、2006年6月には指揮活動を再開しますが、昨年2010年1月、人間ドックの検査で食道癌が見つかり治療に専念、食道全摘出手術を受け、昨年8月に復帰、更に今年1月悪化した腰の手術を受ける。
9月1日で76歳となった小澤征爾さん、生涯指揮者を貫くつもりでしょうか?もうゆっくりされても良いと思いますが、独特の指揮者ぶりはもっと見ていたい気も致します。m(__)m
毎日暑いですね~!新潟では連日夏日!30度以上超えています。
台風の時もほとんど雨が降らなかった新潟でした。
9月の歌と言えば!



当時の「木綿のハンカチーフ」が流行っていた遠い昔、そっくりの女の子と付き合っていました。(^_^)v

舌ったらずで似た雰囲気の女の子、当時東京にいた私は東北大学までよく逢いに行きました。おかげで仙台の街は当時地図を見なくても歩けるくらい・・・この歌が流行った頃、帰り土産に「木綿のハンカチーフ」をねだりもらった事がありました。
でもアッサリ別れはやってきました。
手遅れの乳ガンでした。
東北大学の先輩に、私の小学校の同級生がいます。
いつも隠れ家で飲み会に来るメンバーの1人です。亡くなった後、無意識に仙台の街に一人いました。そのまま東北大学へ行き、小学校の同級生に逢って帰ろうと思いましたが、見つけられなかった。^_^;
それ以来、仙台には行ってません。
もう何十年も前のお話し!(^^ゞ
病気・入院という言葉を聞くと、他人事には思えません。
3.11の地震以来、ブロガーさんたちの入院・病気をよく見聞き致します。皆様健康には十分気をつけて下さいね!(^o^)/
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪

これからも

励みになります。
(v^-^v)♪