墓参り
ようやく墓参りに行ってきました。^_^;
昨日は仕事で、早く帰って夜にでも・・・と思ったのですが、帰宅した時間が23時だったので、あきらめました。(=^0^=)
で、午前中に出かけたのですが、・・・暑い!

案の定、今日は14日、もう皆さん墓参りを済ませた様子が、花を見れば分かりますね。(^^ゞ
我が家の墓にも花がもう添えてありましたが、入れ替えてお参りを済ませました。
そうそう!家紋の話がありましたが、
クリック拡大すれば分かると思いますが、我が家はまるに木瓜(もっこう)です。

家紋って墓によっては無いものも多いですが、これは代々引き継ぐものなのでしょうかね~??
あまり現代では意味が無いような気もしますが・・・(;^_^A

こちらは
本家の墓、
私から見て、ひい爺さんが建てた墓のようです。
私の親の親の親・・文久2年生まれ、その連添いが慶応2年生まれ・・・い・いつだ~?
さっぱり分かりません。^_^;
家系図では、この代までしか分かりません。
家系図って普通、縦に長いつもりでいたのですが、我が家の親の兄弟が多いので今の所、すごく横に長いものになってしまっています。
オヤジが10人兄弟?お袋が12人兄弟?横もよく分からない状態なんですから・・・(^^ゞ
早く縦長にしたいものです。(^o^)/
本日8月14日の「今日は何の日」は、
1999年8月14日、 玄倉川水難事故が発生した日です。
まだ記憶にあるテレビ中継です。
最近、夏に限らず異常気象という言葉をよく聞きますが、当時もそのひとつの夏の事故と言えるでしょう。
北日本や東日本は猛暑、四国や九州は雨模様が続く「東高西低」の気象で、8月上旬の札幌での平均最高気温が那覇を上回るという異常気象だったそうです。
一見、キャンプに向いていそうな場所ですが、ここの上流にはダムがありました。
当時、オートキャンプが盛んでしたね~
この付近にキャンプ指定地があるそうですが、キャンプが盛んだった為か?指定地外の6ヶ所位に50張りくらいテントが張られていたと聞きます。
お盆のこの時期、年間三大流星群(しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群)と並んで、ペルセウス座γ流星群がよく見れる頃ですから、キャンプをする人が多かったのだとは思いますが・・・。
しかし、・・・
気象庁が前日の13日夕方に発表した大雨に関する情報によると、「東海地方の沖合を移動中の熱帯低気圧の影響で、東日本各地や東北地方では、同日夜遅くにかけて局地的に1時間に50mm程度の激しい雨が降り、東北地方では14日にかけて大雨となる恐れがある。14日夕方までに予想される雨量は、いずれも多い所で▽東北地方100~150mm▽関東・東海・北陸70~100mm。」
13日にダム管理職員が、行楽客に増水と水位上昇の危険性を警告、大部分の行楽客はこの警告に従って水際から退避したそうですが、中州でキャンプしていた人は無視。
その後、神奈川県内全域に大雨洪水注意報が発令され、玄倉ダムでは放流予告のサイレンを鳴らします。再度中洲から退避するよう勧告するが拒否され、警察官を呼んで一緒に説得するも拒否したといいます。
20時20分、ダムが放流を開始。
21時過ぎに再度警告、ようやく3名が従い、ほかの18名にも誘ったが拒否される。警察官はやむなく、万一の場合は車が置かれた左岸ではなく、岸は断崖になっているものの河床が高い右岸側の斜面に速やかに逃げるように指示して離れる。
そのまま一夜を明かすことになるが、14日神奈川全域に注意報から警報に変わり、大雨洪水警報が発令されたことで、朝再度警察官が呼びかけるが無視される。
このダムはダムと呼ぶには小さすぎるダムで、大雨が降ればすぐにでも放流しないと崩壊してしまうほどの規模しかないそうで、8時過ぎには本格的な暴風雨となってしまい中州に取り残される始末、消防救助隊員や警察官、レスキューなどが駆けつけテレビ報道もされる中、18人全員がまとめて濁流に流されました。
幼児から子供も一緒に流されるといった中、13名が死亡してしまうといった悲惨な事故は、若い夫婦の常識の無さ!死者をどうのと言いたくはないですが、子供にたいする責任感の欠如には呆れたものでした。
当時も、遭難者たちの自己責任を問う意見が多く出るなど、強い非難が向けられましたね。
救助や捜索に要した費用、地元自治体である山北町が負担した額は4800万円、神奈川県警察が要した費用は、同日、道志川で発生した別件の水難事故1件との合算であるが、人件費だけで1億円、これらの費用はすべて公費負担されたそうです。…o(;-_-;)o
この夏、生き残った5名はどんな墓参りをしているのでしょう。
子供に、そしてご先祖に、どのような報告が出来るのでしょうか?
ちょっと暗い話になってしまいました。^_^;
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪
これからも
応援よろしく!
励みになります。
(v^-^v)♪
昨日は仕事で、早く帰って夜にでも・・・と思ったのですが、帰宅した時間が23時だったので、あきらめました。(=^0^=)
で、午前中に出かけたのですが、・・・暑い!

案の定、今日は14日、もう皆さん墓参りを済ませた様子が、花を見れば分かりますね。(^^ゞ

そうそう!家紋の話がありましたが、


家紋って墓によっては無いものも多いですが、これは代々引き継ぐものなのでしょうかね~??
あまり現代では意味が無いような気もしますが・・・(;^_^A

こちらは

私から見て、ひい爺さんが建てた墓のようです。
私の親の親の親・・文久2年生まれ、その連添いが慶応2年生まれ・・・い・いつだ~?
さっぱり分かりません。^_^;
家系図では、この代までしか分かりません。
家系図って普通、縦に長いつもりでいたのですが、我が家の親の兄弟が多いので今の所、すごく横に長いものになってしまっています。
オヤジが10人兄弟?お袋が12人兄弟?横もよく分からない状態なんですから・・・(^^ゞ
早く縦長にしたいものです。(^o^)/
本日8月14日の「今日は何の日」は、
1999年8月14日、 玄倉川水難事故が発生した日です。
まだ記憶にあるテレビ中継です。
最近、夏に限らず異常気象という言葉をよく聞きますが、当時もそのひとつの夏の事故と言えるでしょう。
北日本や東日本は猛暑、四国や九州は雨模様が続く「東高西低」の気象で、8月上旬の札幌での平均最高気温が那覇を上回るという異常気象だったそうです。

当時、オートキャンプが盛んでしたね~
この付近にキャンプ指定地があるそうですが、キャンプが盛んだった為か?指定地外の6ヶ所位に50張りくらいテントが張られていたと聞きます。
お盆のこの時期、年間三大流星群(しぶんぎ座流星群、ふたご座流星群)と並んで、ペルセウス座γ流星群がよく見れる頃ですから、キャンプをする人が多かったのだとは思いますが・・・。
しかし、・・・
気象庁が前日の13日夕方に発表した大雨に関する情報によると、「東海地方の沖合を移動中の熱帯低気圧の影響で、東日本各地や東北地方では、同日夜遅くにかけて局地的に1時間に50mm程度の激しい雨が降り、東北地方では14日にかけて大雨となる恐れがある。14日夕方までに予想される雨量は、いずれも多い所で▽東北地方100~150mm▽関東・東海・北陸70~100mm。」
13日にダム管理職員が、行楽客に増水と水位上昇の危険性を警告、大部分の行楽客はこの警告に従って水際から退避したそうですが、中州でキャンプしていた人は無視。
その後、神奈川県内全域に大雨洪水注意報が発令され、玄倉ダムでは放流予告のサイレンを鳴らします。再度中洲から退避するよう勧告するが拒否され、警察官を呼んで一緒に説得するも拒否したといいます。

21時過ぎに再度警告、ようやく3名が従い、ほかの18名にも誘ったが拒否される。警察官はやむなく、万一の場合は車が置かれた左岸ではなく、岸は断崖になっているものの河床が高い右岸側の斜面に速やかに逃げるように指示して離れる。
そのまま一夜を明かすことになるが、14日神奈川全域に注意報から警報に変わり、大雨洪水警報が発令されたことで、朝再度警察官が呼びかけるが無視される。
このダムはダムと呼ぶには小さすぎるダムで、大雨が降ればすぐにでも放流しないと崩壊してしまうほどの規模しかないそうで、8時過ぎには本格的な暴風雨となってしまい中州に取り残される始末、消防救助隊員や警察官、レスキューなどが駆けつけテレビ報道もされる中、18人全員がまとめて濁流に流されました。
幼児から子供も一緒に流されるといった中、13名が死亡してしまうといった悲惨な事故は、若い夫婦の常識の無さ!死者をどうのと言いたくはないですが、子供にたいする責任感の欠如には呆れたものでした。
当時も、遭難者たちの自己責任を問う意見が多く出るなど、強い非難が向けられましたね。
救助や捜索に要した費用、地元自治体である山北町が負担した額は4800万円、神奈川県警察が要した費用は、同日、道志川で発生した別件の水難事故1件との合算であるが、人件費だけで1億円、これらの費用はすべて公費負担されたそうです。…o(;-_-;)o
この夏、生き残った5名はどんな墓参りをしているのでしょう。
子供に、そしてご先祖に、どのような報告が出来るのでしょうか?
ちょっと暗い話になってしまいました。^_^;
いつもご訪問、ありがとうございます!(^^♪


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